権力者がいったん強い権限を得たら、自らは、なかなかその権限を手放したがらない。メディアを含め、そのおこぼれにあずかる人たちが、彼らを擁護する。戦争はいったん始めれば、なかなか終われないし、戒厳令はいったん出せば、容易には解除できない。
感染症法は、厚労省健康局結核感染症課が所管する。局長、課長ポストは医系技官の指定席だ。だからこそ、医系技官とその周囲の公衆衛生や感染症を専門とする医師たちが、前述したようにさまざまな理屈をつけて抵抗した。
余談だが、隔離一辺倒の公衆衛生は、世界標準ではない。世界の公衆衛生の雛形は、19世紀のイギリスで生まれた。産業革命で都市に人口が流入し、コレラが流行した。これを克服したのは、資本家階級による上下水道の整備だった。イノベーションが感染症を抑制したのだ。成功体験は引き継がれる。今回のコロナでも、民間企業が開発したmRNAワクチン、大規模検査、遠隔診療、デジタル医療が、コロナ克服に大きな役割を果たした。
隔離一辺倒の政策で日本に起きたこと
幕末の開国で、日本にも感染症が流入する。残念なことに、当時の日本には、イギリスのような資本家階級は存在しなかった。当時、できたのは、国家による強制隔離だった。その影響が、感染症法という形で今も残っている。検査やワクチンが発達した現在、このような隔離一辺倒の対応は合理的でない。感染者をスティグマとし、差別を生む。また、国民に過剰な恐怖心を植え付け、国民に負の影響を与える。
現に、隔離一辺倒の政策が、今回のコロナパンデミックで、日本国民に甚大な被害をもたらした。それはコロナ以外の理由での死亡の急増だ。昨年3月、ワシントン大学がイギリス『ランセット』誌に発表した研究によれば、日本の超過死亡数は、コロナ死亡数の約6倍だ。普通は0.5~2倍の間で、日本の超過死亡は先進国で最大だ。
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