一気に大緩和?中国・ゼロコロナ政策撤廃の現実 音楽家ファンキー末吉が経験した緩和直後のドタバタ劇

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突然のゼロコロナ政策緩和で閉鎖された北京のPCR検査場(写真・2022 Bloomberg Finance LP)
新型コロナウイルス感染症に対し「ゼロコロナ」政策を厳しく続けてきた中国が一転、政策を緩和したのは12月上旬。全国に抗議活動が広がるなど混乱を受けて、習近平・国家主席の鶴の一声で緩和されることになった。
ロックバンド「爆風スランプ」のメンバーで現在は中国を中心に活動しているミュージシャンのファンキー末吉氏は、緩和された直後の北京に出向き、ゼロコロナ政策緩和直後の状況を目の当たりにする。これまでの中国のコロナ監視体制を経験、「IT武装も最後は『人力』頼みの中国コロナ監視体制」などを執筆したファンキー末吉氏は、PCR検査が必要だったりそうでなかったり、場所によって対応が変わったり……そんなドタバタ劇が起きている。中国社会の現実はいかに。

 

私は「布衣楽隊」という、中国で最も多くのツアーを行うバンドのドラマー兼プロデューサーとして中国全土をツアーして回っている。

2022年のツアーはコロナ禍のため例年より少なく57本を予定していたが、結局は14本がコロナのためにキャンセルとなって2022年9月末に終了。メンバーはそのまま、拠点として居住する中国西部・寧夏回族自治区の銀川(ぎんせん)市に帰ったのだが、私はレコーディング仕事があったのでそのまま北京に行った。

そうしたら、運のいいことに銀川市がロックダウン。しかし新たな感染者数が10人ほどで200万都市(周辺小都市を含めると700万人)をロックダウンして住民の自由を奪うのだから、中国のこのゼロコロナ政策というのはすさまじいと言うしかない。

12月7日、突然訪れた「ゼロコロナ」緩和

銀川には帰れないのでそのまま1カ月半ほど北京に滞在していたら、北京がどんどん危なくなってきた。

私が銀川に帰った翌日にはすべての北京市民は毎日のPCR検査が義務付けられ、検査結果がスマートフォンにインストールする健康アプリに反映され、そこでのQRコードが緑色にならなければ商店や施設、タクシーにも乗れないというありさまである。

銀川はそれほど厳しくなく、外地から帰って来た人は3日間のうち2回PCR検査を受ければ健康アプリのQRコードは緑色のままとなり、それを施設入り口のリーダーにかざせばどこにでも自由に出入りすることができた。

帰ってきてから半月ほどは平和に過ごしていたのだが、2022年11月25日にいきなり都市封鎖の通達が来た。これは銀川の感染者数というより、中国全土の感染者数がこれまでになく増えたことで地方政府もそれぞれに危機感を高めたためではないかと思う。

今回のロックダウンは、いわば「ソフトロックダウン」程度のもので、飲食店はデリバリー以外の営業は禁止。私の住むマンション群は出入り禁止だが、そうでもなく自由に出入りできる地区もあり、どうやらマンション群の社区と呼ばれる自治体に判断を任されているようだ。

ところが、1週間の隔離も終わりにさしかかった11月24日に新疆ウイグル自治区で発生した火災で死亡者が出た。死亡者が出たのは、防疫用柵で消防隊の到着遅れたためではないかと考えられ、これをきっかけに中国全土でゼロコロナ政策に反対する抗議活動が起きた。

「第2の天安門事件(1989年)に発展するかも」と心配していたのだが、一転、政府はゼロコロナ政策を大幅に緩和することを発表した。2022年12月7日のことである。

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