しかしながら、それ以前に、室町幕府の第13代将軍である足利義輝が、今川家と松平家との対立を手紙でいさめるなど、両者がすでに緊張関係にあったことがわかっている。
おそらく家康は、駿府に妻子を置き去りにして、「捨て城ならば拾わん」と岡崎城に入った時点で、独立する腹を決めていたのではないだろうか。その後、家康は今川家から少しずつ離れて、やがて織田家と和睦を果たすことになる。
家康にとって大きなターニングポイントに
難しい局面で、これ以上ない判断を下して独立を果たした家康。17歳とは思えぬ冷静さだが、義元の討ち死にまでは予想せずとも、戦の混乱に乗じて、岡崎城に入るシミュレーションは頭のどこかであったのではないか。
6歳から織田家や今川家の間を人質として行き来した家康の幼少期を思えば、「何が起きてもおかしくはない」と普段から、いざというときのことを考える癖がついていたとしても違和感はない。
多難な人生で幾度となく重要な選択を迫られた家康。なかでも「桶狭間の戦い」後の判断は、大きなターニングポイントとなった。(第6回に続く)
【参考文献】
大久保彦左衛門、小林賢章訳『現代語訳 三河物語』(ちくま学芸文庫)
宇野鎭夫訳『松平氏由緒書 : 松平太郎左衛門家口伝』(松平親氏公顕彰会)
平野明夫『三河 松平一族』(新人物往来社)
所理喜夫『徳川将軍権力の構造』(吉川弘文館)
本多隆成『定本 徳川家康』 (吉川弘文館)
柴裕之『青年家康 松平元康の実像』(角川選書)
二木謙一『徳川家康』 (ちくま新書)
日本史史料研究会監修、平野明夫編『家康研究の最前線』 (歴史新書y)
菊地浩之『徳川家臣団の謎』(角川選書)
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