更衣に似てるからなんて理由で呼ばれて、身分の高い藤壺が宮中へ嫁ぐ気になるだろうか?と一瞬読者は思う。しかしそこに母の死、不安な状況、という事情が入ってくると、話は別だ。
少しばかり強引なストーリーがあっても、すぐさま「こういう仕方のない事情があったので」と解説されると、読者は納得してしまう。1000年経って読んでも、変な矛盾がないのだ。平安時代の作家、あまりに合理的な作者だなと思う。
現実の話を物語に取り込んだ?
藤壺と聞こゆ。げに御容貌ありさまあやしきまでぞおぼえたまへる。これは、人の御際まさりて、思ひなしめでたく、人もえおとしめきこえたまはねば、うけばりてあかぬことなし。
かれは、人のゆるしきこえざりしに、御心ざしあやにくなりしぞかし。思しまぎるとはなけれど、おのづから御心うつろひて、こよなう思し慰むやうなるも、あはれなるわざなりけり。
※以下原文はすべて『新編 日本古典文学全集20・源氏物語(1)』(阿部秋生・秋山虔・今井源衛・鈴木日出男訳注、小学館、1994年)
<意訳>その方は、藤壺と呼ばれていた。彼女は、お顔もお姿も、不思議なほど亡き更衣に似ていた。しかし更衣と異なるのは、身分も高く、誰も悪口を言うことができない存在で、それゆえに宮中で自由にふるまうことができたところだ。
更衣の場合は宮中に誰も味方がいないのにもかかわらず、帝の寵愛が深すぎたのだろう。もちろん藤壺の存在によって、更衣で空いた帝の心の穴がまるまる埋まるということはなかった。しかし帝の心は自然と藤壺へうつり、悲しみが癒えてくるのもまた本当だった。
藤壺は、宮中にいるどの女性にも負けないくらい美しかった。ほかの女性も美しかったが「うち大人びたまへるに」=「歳をとっていたので」、それよりも若い盛りの藤壺の容貌は際立ったのだという。ちなみに藤壺、入内当時14歳。そりゃ若いというよりも幼い女性ではないかと現代の感覚では思ってしまうが、そんな藤壺に源氏も懸想するようになる。
母御息所も、影だにおぼえたまはぬを、「いとよう似たまへり」と典侍の聞こえけるを、若き御心地にいとあはれと思ひきこえたまひて、常に参らまほしく、なづさひ見たてまつらばやとおぼえたまふ。
上も、限りなき御思ひどちにて、
「な疎たまひそ。 あやしくよそへきこえつべき心地なんする。なめしと思さで、らうたくしたまへ。つらつき、まみなどはいとよう似たりしゆゑ、かよひて見えたまふも似げなからずなむ」
など聞こえつけたまへれば、幼心地にも、はかなき花紅葉につけても心ざしを見えたてまつる。
こよなう心寄せきこえたまへれば、弘徽殿女御、また、この宮とも御仲そばそばしきゆゑ、うち添へて、もとよりの憎さも立ち出でてものしと思したり。
世にたぐひなしと見たてまつりたまひ、名高うおはする宮の御容貌にも、なほにほはしさはたとへむ方なく、うつくしげなるを、世の人光る君と聞こゆ。藤壺ならびたまひて、御おぼえもとりどりなれば、かかやく日の宮と聞こゆ。
<意訳>源氏は、亡き母である桐壺更衣のことはまったく覚えていなかった。でも典侍が「藤壺様は、お母上にとてもよく似てらっしゃいます」と言うので、彼女を見ると胸が高鳴る。幼心にも、ずっとこの方の近くにいたい、お姿を見ていたい……と思うのだった。
桐壺帝は、源氏と藤壺の2人を愛していた。帝は藤壺に、
「あの子と仲良くしてやってくださいね。あなたを見ていると、不思議とあの子の母に思えてきます。無礼だなんて思わず、可愛がってあげてください。なんだかあなたの眼差しも顔つきも、あの子の母親に、よく似ているのですよ。あなたを母と思うのも自然なことなんです」と帝は仰る。
そうか、仲良くしていいんだ。――そう思った源氏は、桜や紅葉にかこつけて、お慕いしていると彼女に伝えていた。
そんなふうに源氏が藤壺を慕っているのを見ると、もともとの立場が敵対しているのに相まって、ますます弘徽殿女御は藤壺のことを憎く思った。弘徽殿女御は藤壺にいらだち、嫌っていった。
そんな弘徽殿女御の憎悪とは裏腹に、世間では、藤壺のお顔立ちが「美しい」と評判になる。さらに元服前の源氏の姿も、信じられないくらい、美しい。世間は彼を「光る君」と呼んだ。帝は2人を「美しい2人だなあ」とますます愛した。そうして藤壺と源氏が並び、帝に愛されている様子は、「輝く日の宮」と呼ばれたのだった。
ちなみにこの「寵愛していた前の妻が亡くなった後、かなり若い妻が入内する」というストーリー。「更衣・桐壺帝・藤壺」の関係は、どこか『枕草子』や『紫式部日記』で描かれていた、現実の「藤原定子(前妻)・一条天皇・藤原彰子(後妻)」を彷彿とさせる。
桐壺帝や桐壺更衣の年齢は明かされていないが、藤壺が際立って若いのは事実だろう。藤原彰子もかなり若い妻だった。紫式部が彰子の女房をしていたことや、藤原道長の親戚として宮中のうわさ話を聞く立場であったことを踏まえると、現実の話を物語に入れたとしても不思議ではない。
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