園田:私はワシントンに長くいましたけども、ワシントンで仕事をしていると、とにかく法律問題が多いのです。日本の議員はどうかわかりませんが、米国の議員はロー・メーカーです。つまり、法律を作る人。法律が書けないと議員の仕事はできません。1980年代ぐらいまで、上院議員の半分は元法律家でした。最近はアントプレナーとかそれ以外の方が増えましたが。
それで私が思ったのは、「よし、ロー・スクールに行こう」ということです。それで米国本土の社長に「夜、仕事が終わってからロー・スクールに行きますから、途中で転勤させないでください」と頼みました。ものすごく大変だったけれど、そのときにつくづく、法律の知識は大切だと思いました。知識というより、法律的な考え方ですね。
日本人が意識すべきこと
園田:先ほどから名前の出ている、私のパートナーだったエドもプロの弁護士です。米国人は非常に自意識が強いから、外国人に「こうあるべきだ」と言われても聞く耳を持ちません。だからそれは米国人同士、言わせればいい。ですから信頼できるスタッフを長く置いて、ワシントンの法律を作るというカルチャーをよく理解することが非常に大切です。
桑島:確かにそうですね。それには人材育成も重要です。ただし、人材を育てるのは非常にチャレンジングな仕事だということも発信しなければいけないと思っています。
園田:おっしゃるとおりで、日本人をそこまで育てるには大変な時間もかかるし、自分の会社の中身もしっかり勉強しておかないといけないと思うのです。
桑島:ワシントンでいちばん記憶に残っていることはなんでしょうか。
園田:2002年にアマコスト元駐日大使(当時はブルッキングス研究所代表)がワシントンを離れる前、わたしにご飯を食べようと電話がありました。ブルッキングス研究所の彼の執務室でふたりに食事がサーブされました。同じ月だったと思います。パウエル国務長官主催のアマコスト大使の送別の晩餐会が国務省の8階のボールルームで行われました。ワシントンのシンクタンク代表者や研究者ほか政治家多数が集まりました。
国務省8階に着くとパウエル長官がお客を一人ひとり握手で出迎えてくれました。私はブルッキングスの内輪のパーティと思い込んでいましたので、たいへん場違いなところに来たと思い気後れしました。ブッシュ大統領(父親)やキッシンジャーの祝電が披露され、ブレント・スコークロフト元大統領補佐官が祝辞を述べました。スコークロフトは、「日本には何も期待していなかった。中東戦争のためのおカネさえ出してくれればそれでよかった。それをアマコストは日本からとってくれた。すばらしい功績だ」と述べ、800人ほどの会場から大喝采が起こりました。それを聞き非常に複雑な気持ちになったことが印象に残っています。
桑島:まだまだお聞きしたいことは山ほどありますが、あっという間に時間が来てしまいました。ありがとうございました。
(構成:長山清子、撮影:梅谷秀司)
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