老子が説く「人の下に立て」が成功への道になる訳 道徳論ではないリアリズムに基づいた処世術

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

(5)政治は目の前の人民をよく治めるのがよい(政は治を善しとす)

これは、政治の基本は目の前の人民をよく治めることにあり、外に打って出るのは機が熟した場合の例外であることを説く教えです。『老子』の成功モデルは、人にへりくだって不争の世界で力を蓄える「正」、あえて競争の世界に打って出て敵を倒す「奇」、速やかに不争の世界に退いて周囲に還元する「無事」の三段階を踏みます。

すなわち、まずは「正」の段階においては目の前の人民を治めることが大事であり、基本であり、これが自然と打って出るための準備ともなる。そうすることで、周囲にプラスの感情が集まり、身の安全性が増し、「奇」の段階に打って出る力になるからです。そうした感情力学的な下地もなく、いきなり競争の世界に打って出るのは、まったくの自殺行為。だからこそ、治めることは「正」と呼ばれ、外に打って出ることはあくまで例外として「奇」と言われるわけです。

(6)なす事は「道」に任せるのがよい(事は能を善しとす)

『老子』謀略術とは、人と争い、人の上に立とうとすればマイナスのベクトル(感情)、人と争わず、人にへりくだればプラスのベクトル(感情)が働くという、「道」の働きを利用して物事を成し遂げる教えです。

その意味で、あくまで手を下すのは「道」である。人を味方につけるのも、敵を倒すのも「道」の力、すなわちそれの具現化した周囲の感情の力によるのであり、決して自分の行動だけでどうにかしようとする行動原理主義の考え方は取らない。

「事は能を善しとす」とはそういう意味です(ちなみに、ここでの「能」という字は、蜂屋邦夫訳『老子』(岩波文庫)と同様に「任せる」という意味で解釈しました)。

(7)動くのは時機をとらえるのがよい(動は時を善しとす)

これは、「正」の段階から「奇」の段階に移る際にとくに重要になる教えです。すなわち、『老子』の謀略術においては、「正」においてへりくだって潜伏しながらも、いずれ「奇」の段階として競争の世界に打って出ることになります。その際の問題になるのがタイミングです。

真説 老子: 世界最古の処世・謀略の書
『真説 老子: 世界最古の処世・謀略の書』(草思社)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

『老子』の著者は、「動は時を善しとす」、すなわち時機を逃さないことを重視します。時機を逃さないというのは、(当たり前と言えば、当たり前なのですが)タイミングが来たのを感知したら、できるだけ早くそれに取り組むということです。すなわち、無用な様子見などはしない。様子見をしている間に、どんどん成功する確率、勝利する確率は下がっていくからです。

この「柔弱」戦略は、競争で人に勝ち、人より有名になり、人の上に立つことばかりが重視される現代の価値観へのアンチテーゼにもなっています。そして、このアンチテーゼが正しいことは、現実社会に充満しているストレスを見ても明らかでしょう。負けてストレス、勝ってストレス。これは周囲の人間の感情を計算に入れず、争って勝てばそれでいいという発想に原因があるのです。

そうではなく、本当に物事を成し遂げたければ、むしろ人と争わず、人の下に立つ。その姿勢によって周囲の人々の感情を味方につけ、その力を利用して成果を手にし、再び速やかに退く。こうすることで初めて身を守りながら、真の意味の「成功」を手にすることができる。これが『老子』の発想なのです。

高橋 健太郎 作家

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

たかはし けんたろう / Kentaro Takahashi

作家。横浜市生まれ。上智大学大学院文学研究科博士前期課程修了。国文学専攻。専門は漢文学。古典や名著を題材にとり、独自の視点で研究・執筆活動を続ける。近年の関心は、謀略術、処世術、弁論術や古典に含まれる自己啓発性について。著書に『鬼谷子』(草思社文庫)、『どんな人も思い通りに動かせる アリストテレス 無敵の「弁論術」』(朝日新聞出版)、『言葉を「武器」にする技術 ローマの賢者キケローが教える説得術』(文響社)、『哲学ch』(柏書房)など多数。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事