毎年のように疫病に見舞われた平安中期。当時の人々の感染対策には、今の日本社会にも通じるところがある。
平安中期は毎年のように疫病が蔓延
2020年に新型コロナウイルス感染症が流行し、3年目を迎えようとしている。日本のコロナ対応を見ていると、どうもこの国だけ、ほかの国々とは異なる対応をしているように思えてならない。国内で感染が蔓延しているのに厳しい入国規制をかけたり、マスクや手洗いも外国よりも徹底しているようだ。
歴史を研究していると、現代日本のこうした特質は、島国で外国や国内の異民族からの侵攻を想定していなかったこの国の歴史が、長い年月をかけて醸成していったものではないかという思いが日々新たになるこの頃である。その一端は、「疫病の時代」だった平安時代にも見ることができる。
そこで今回紹介するのが、平安時代中期の公卿(くぎょう)、藤原実資(さねすけ)が記した日記、『小右記(しょうゆうき)』だ。時の権力者、藤原道長にも一目置かれた実資は、63年の長きにわたって日々の政務や社会について冷静なまなざしで書き記した。ここから、当時の人々がどのように疫病と向かい合ってきたかを知ることができる。
疫病が猛威を振るった平安時代の中期
平安時代の中期には、毎年のように疱瘡(ほうそう)(天然痘)や麻疹(ましん)(はしか)などの疫病が猛威を振るった。感染症に関する知識がなく、治療法や特効薬も確立されていなかった当時にあっては、これはたいへんな恐怖の対象であった。
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