『自由論』は、ミルが「どうして私はおのれの愚かさを抑制し、知性の活性化に成功したのか」という経験知を公開したものだ。
いちはやく邦訳された『自由論』
ミルの『自由論』は名前だけはよく知られているが、あまり読まれることのない古典である。現に、私はこの本を「座右の書」に挙げた人にこれまで会ったことがない。
でも、この本は明治5(1872)年に啓蒙思想家の中村正直(まさなお)が『自由之理』として翻訳した。ミルの存命中だから、たいへん早くに紹介されたことになる。この本を明治の日本人に読ませる緊急性があると中村は確信していたのだと思う。
もちろん、その時代の日本にとって国家的急務は「近代化」である。中村はこれを日本近代化のために必須のものと考えて選書したのである。
けれども、壮図むなしく、ミルの成熟した政治的知見はついに日本の政治風土には定着しなかった。定着していれば、近代日本の政治史はもっと穏やかなものになっていただろうし、戦争に負けることもなかっただろう。
だから、この本に書かれていることは明治の日本人にとって実は「かなり理解しにくいこと」だったということになる。でも、読めばわかるが、ミルが説いているのは「ものすごく当たり前のこと」なのである。ただし、「大人にとっては」という限定条件がつく。
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