ウクライナ戦争でわかる「指導者の個性」の重要性 有力専門家が明らかにした国際政治理論の問題

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しかし、こういった利害や国力の計算も確かに重要だが、国際政治でも政治的意志や理念の力が非常に重要なことをウェルチがとりわけ強調していることに注意したい。パワー・バランスから見れば圧倒的に有利なロシアが、ウクライナの抵抗を前にかくも苦戦を強いられてきたのに驚いた専門家は多い。その大きな理由は、攻撃を受けたことによってウクライナの政治的団結が強化されたこととともに、あまりにも露骨なロシアの侵略行為に衝撃を受けたNATO諸国の人々の危機感にある。

露骨な侵略によって家族や友人が殺されれば、戦わずして手を挙げるのはむしろ非人間的ではないだろうか。国力やエネルギー供給が重要なことは当然だが、良くも悪くも人は「利益」の合理的な計算だけで動くわけではない。それぞれの正義や世界観も人を衝き動かすとともに、それが結集されたときには、人の心のありようだけに予測は難しいが時に想像を超える力を発揮する。なるほど竹槍でB-29に対抗できないことは日本人には骨身にしみている。しかしアメリカによる石油の禁輸に直面した日本が、屈服よりも一か八かの戦いにかけた事例も想い出される。

アンドリー・ポルトノフは、ウクライナ社会の多様性が独自の政治的アイデンティティの障害にはならず、ウクライナ人にとってはこの戦争は、自分たち自身の独立と生存を賭した戦いに他ならないとする。またキエフで実際に生活した経験のある合六強による時評では、家族をポーランド国境まで送り届けたあと、引き返して前線に身を投じた合六の友人の姿が触れられる。国際政治も結局のところ生身の人間が動かしていることを改めて痛感する。

来るべき戦後の世界

ところで、戦争は始まった以上何らかの形で終わらなくてはならない。どのような終わり方がありうるのか、そのうえでどのような戦後を構想すべきなのか。

『アステイオン97』(CCCメディアハウス)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします 

この難問に取り組んだのが、この号の責任編集者である中西寛の個性的な論考である。ウクライナでの戦争は、市場経済と自由民主主義でグローバルな世界が覆われ、幸福度や大学教育に至るまで、単一の物差しでランキングをつけることができるとされた時代の終わりを告げる一連の出来事の一つと解釈できる。

そして来るべき戦後の世界は、技術的な手段で折り合いのつかない「大きな物語」が併存するものになりそうであり、その共存のための対話が求められるだろう。

この号の『アステイオン』を読む読者は、専門家はやはり役に立たないと思うだろうか?

確かにここにはなんら確実な予言もなければ処方箋もない。しかし確実なことが判らなくても決断を迫られるのが、人間にとっての基本的条件なのだろう。専門家がすべきことは、外れるに決まっている予言ではなく、いわば船乗りが航海に出るときに手にする海図を作り続けるようなことではないだろうか。

海図の情報は間違っていたり不十分だったりするかもしれないし、そうでなくても航海の安全を保証できるわけではない。しかし危険な海にこぎ出そうとする船乗りは、目的地の方位や暗礁の位置を無視したりはしない。歴史という海には衛星から見下ろして得られる鳥瞰図がない以上、航海を続けながら海図に新たな情報を加え修正を施す作業を、誠実に続けるしかない。

『アステイオン』のこの特集も、そういった海図を作り続けることで、水平線の彼方にある世界を解釈しなおす試みにほかならない。

田所 昌幸 国際大学特任教授

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たどころ まさゆき / Masayuki Tadokoro

1981年、京都大学法学部卒業。1981 - 83年、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス留学。1984年、京都大学大学院法学研究科博士課程中退。1984年 - 87年、京都大学助手。1987 - 97年、姫路獨協大学法学部助教授、教授。1997‐ 2002年、防衛大学校社会科学教室教授。2002-2022年、慶應義塾大学法学部教授などを経て、現職。その間、ピッツバーグ大学ジョーンズタウン校客員教授(1991年)、ニューヨーク市立大学ラリフバンチ国連研究所客員研究員(1993 - 94年)、ウォーター大学客員研究員(2016 - 17年)。博士(法学)。専門は国際政治学。著書に、『「アメリカ」を超えたドル』(サントリー学賞受賞、中央公論新社、2001年)などがある。

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