「専門職エリート」が現代の「支配階級」である理由 「保守」サイドからの「アメリカ階級社会」批判

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リンドは、『新しい階級闘争』のなかではニュークラスという用語を用いずに、オーバークラス(上流階級)という言葉を使っている。そしてリンドは自分の着想の出発点としてガルブレイスとともに、かつて経営者階級の支配を指摘した転向の保守知識人、ジェイムズ・バーナムを挙げている。だが、かれが言わんとしていることは、ネオコン第1世代以来、アメリカの保守のなかで長らく論じられてきたニュークラス論の最新バージョンであると言っていい。日本ではこれまであまり知られる機会の少なかった、バーナム以降の保守の側からのアメリカの階級社会批判に、『新しい階級闘争』の翻訳をつうじてようやくこのたび、われわれは本格的に触れることができるようになったのである。

「ニューディール」を必ずしも否定しない保守

『新しい階級闘争』では、リンドによる現代アメリカ社会にたいする処方箋が示されている。それは、政治、経済、文化のそれぞれの場面でエリートと労働者の階級闘争を終結させ、階級間の平和を確立するための仕組みをつくることである。

リンドが主張するのは、経済の場面では政労使による三者協議的な交渉の復活、政治の場面ではローカルな共同体の復権、文化の場面では「文化戦争」を終わらせるためのさまざまな信条やサブカルチャーの共存である。

総じてリンドが求めるのは、エリート階級の支配に対抗して、社会のなかに拮抗した状況を生み出す諸々の力の回復、一言で表現すれば「民主的多元主義」である。

エリートの主導するテクノクラート新自由主義に抗するために、労使協議のような重要であるがいささか古風ともみえる主張をするリンドが、階級平和が確立されたアメリカの時期として、ニューディールに肯定的な評価を与えている点は興味深いかもしれない。

一般に、アメリカの戦後保守の多くの論者たちにとってニューディールは真っ向から対決すべき敵である。それにたいしてリンドは、ニューディールのなかに保守的な達成を見いだしている。ニューディールを必ずしも否定しない保守の立場は、ネオコン第1世代にもみられるし、近年でもトランプ登場以前の時期に共和党改革の論陣を張ったロス・ダウサットやライハン・サラームの議論のなかにも見いだせる。そもそもリンドは、分類不能と言われるほど立場の変化の激しいひとではあるが、それを差し引いてもリンドのニューディール理解は、アメリカ保守の議論のなかの多様さや懐の広さを感じさせる。

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