負傷した時に最も重要なのは、負傷した直後にいかに適切な救急処置を行うかである。「血液を失わない、呼吸を止めない、体温を下げない」ようにすることで、平時の救急システムよりも不利な治療・後送システム下で生命が維持できるようにすることが必要だ。陸幕の回答はこのFirst Aidの原則を無視したものである。
逆に、素早く的確な処置を行えば、生命や手足、視力を失う可能性が大きく減る。救急処置が適切であれば回復が早く、わずかな期間の療養で前線に復帰できるはずの隊員が、適切な処置を受けなければ出血を制御できなかったり、感染症などによって重体化したり死亡する可能性は大きくなる。
また国内は医療レベルが充分というが、前線、例えば島嶼防衛で想定されている南西諸島の戦場の近くにどこに総合病院があるのだろうか。そもそも救急処置で素早く止血、気道の確保ができなければ出血多量や心肺の停止で本来助かる患者も助からない。死人にいくら処置を施しても生き返るわけではない。
銃創や火傷に対処する気はあるのか
このように陸自の「個人携行救急品」衛生セットを見る限り、銃創や火傷に対処する気が全く見られない。つまり、陸自は戦闘を想定していないようだ。陸自は大規模な着上陸作戦は当面想定できないが、ゲリラ・コマンドウ事態、あるいは離島を巡る紛争などを想定しているとしているが、そうは見えない。
これでは、旧軍並みに、「隊員の命は安い」と思っていることになる。いずれにしても先進国の「軍隊」としては落第だ。
問題は、ほかにもある。陸幕広報室からの回答によれば「個人の救急処置に関する訓練は、全隊員に対して、救急法等の訓練において年間30~50時間程度の教育訓練を実施している。この教育訓練では、国内外用に関して、装備品の概要教育、実技訓練等を行っている」としている。
だが筆者が現場の隊員たち取材した限りでは、そのような長時間の訓練を受けた隊員は皆無だ。国内用は常備の救急品が2種類しかないのだから、自ずと訓練時間は短くなる。海外派遣前の多忙な時期に追加救急品のための訓練時間を多く割くのは難しい。本来救急法訓練に割り当てられる時間が銃剣道などの競技会などに充当されているのではないか、という声が多かった。これらに勝てば部隊長の人事考査に影響するが、衛生の訓練を一生懸命やっても出世に繋がらないという現状がある。
結論を言えば陸自がいう「ゼロカジュアリティ」は単なる宣伝文句にすぎない。現状を見る限り陸自が真剣に有事に備えているとはとても言いがたい。
冒頭で「陸自のやっていることは、隊員が死傷する事態を想定してない戦争ゴッコである」と筆者は述べたが、ご理解いただけただろうか。このような衛生軽視は、陸自が実戦を想定していないと近隣諸国に宣伝しているようなもので、それは抑止力維持という面からも大きな問題がある。
戦車や小銃など「火の出る玩具」だけを揃えれば軍力は完結するものではない。損害を極小化するための衛生が不備であれば、戦闘部隊の戦力も士気も維持できない。そのような張子の虎のような部隊がいくらあっても、相手の国にやる気の無さを見透かされて抑止力にはならない。衛生を軽視することは自ら抑止力を弱めることになる。
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