こうした「庶民」は、むしろ富裕層やダークな世界の人々が自分たちと「平等になる」ことを喜ぶべきだ。そうなるなら、筆者も大変嬉しい。
マイナンバーカードの普及と利用に反対する「個人情報マニア」の方々は、脱税したい(少なくとも資金の流れを捕捉されたくない)大金持ちやダークな人々に、自分たちが盾として利用されていることに気づくべきなのだ。たぶん戦う相手を間違えている。なんと間抜けで残念なことか。
一方、脱税がしにくくなるということは、これまで徴税されなかったお金持ちに、国全体ではたぶん何兆円か(?)余計に課税できるということなのだから、「庶民」は大いに喜ぶべきなのだ。その分、国民全体に課税されていた税金が相当額なくなるか、あるいは国民のために追加で支出されるかのいずれかなのだ。悪い話ではない。
「庶民」なのに、自分の小さな節税や脱税がしにくくなることにしか目が向かないような人は、たぶんいつまでたっても貧乏なままだろう(失礼!)。
仮にGDPの1%に相当する額を約5兆円として、富裕層ないしダークサイドから現在よりも効率よく徴税されて、低所得層へのサポートに使われるとしよう。
低所得層の方が所得に対してお金を使う。富裕層の所得に対する消費性向が50%、低所得層の消費性向が80%とすると、単純な乗数効果の計算では最終的な支出は15兆円増える計算になる(それぞれを貯蓄性向で割り算する。つまり(5÷0.2)−(5÷0.5)=15だ。なお5兆円という数字は、あくまでも説明のための数字なので、念のため)。
迅速で柔軟な給付金、払うのは「お金持ち」
マイナンバーによる個人の所得や資産の詳細な把握は、政府が給付金を配る際の基礎的な情報になるはずだし、給付の事務コスト削減に役立つはずだ。
近年、選挙の際の政治家の訴えは「給付金」に集中している。これは、必ずしも悪いことではない。給付金の使途は個人の自由だからだ(「自由と民主主義」の国にふさわしいではないか)。
問題は、給付金と「所得制限」がセットで議論される習慣があることだ。給付を一律に行って、その財源となる税金を相対的に富裕な人から追加的に徴収すると給付と追加的税金の「差額」を通じて再分配は公平かつ迅速に実現することができる。
これは、マイナンバーカードや複雑なシステム投資なしに今すぐにでも実現できる仕組みなのだが、与野党共に、多くの政治家たちが理解しようとしない。
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