薬剤の不足は深刻、早急に高速道路開放を--日本医師会が東日本大震災被災地の医療状況を報告
日本医師会は3月16日の緊急記者会見で、東日本大震災被災地に関する現場報告を行った。
3月13日午前9時30分に被災地のいわき市内に到着、現地の避難所などで被害状況の確認と診療にたずさわった永田高志・日本医師会救急災害医療対策委員会委員(九州大学病院救命救急センター特任助教)が、現地の状況を報告。「いわき市内では、被ばくを恐れて外部からの応援がほとんどない」「高速道路は健在であり、今こそ積極的に活用すべき」「病院、避難所、保健所は水、食料、ガソリン、薬剤が不足しており、あと1、2日で活動が止まる可能性が高い」などと現地の状況を報告した。
永田医師は13日早朝に乗用車に乗って、3時間かけて常磐高速道路経由でいわき中央インターチェンジまで到達。その後、いわき市の職員と2人で市内の避難所など8カ所を12時間かけて訪問。「医療ニーズが非常に高いことを実感した」(永田医師)という。「どの避難所でも高齢者が多く、持参した医薬品が切れかけている人や、混乱をきたしている人もいた」(永田医師)。
現地2日目の14日には診察を開始。だが、「見た範囲では、現地で活動する医師のうちで東京方面から来ていた医師は自分1人しか見当たらなかった」(永田医師)という。
永田医師が救護活動を行った避難所の1つがいわき市内の草野小学校。ここには、地震と津波、その後の原発災害から難を逃れてきた楢葉町の住民が集団で移動。約2700人が避難していた。町役場の機能も置かれており、「さながら一つの町が移ってきたような状況」(永田医師)。ここで地元医師会の医師1人とともに、処方せん診療を行った。
「対応が難しかったのは、被災者の中で薬に関する正確な情報を持っていない方が少なくなかったこと。お薬手帳を持っていない人や、ぜんそくの子どももいた。また乳がんのターミナル(終末期)治療を受けている50代女性は、医薬品の不足で痛みが強くなっていた。また、免疫抑制剤やステロイド薬が切れそうな人もいた」(永田医師)。
永田医師がもう一つの救護活動を行った場所が四倉高校(いわき市)。ここでは約1000人が避難していた。地元の保健師とともに回り、薬の処方箋を出すなど最低限の診療行為をして活動を終了。