一夜で「右側通行」が左に、沖縄"730"の大事業 バスのドアも車体右から左へ、どう対応した?
アメリカに行ってレンタカーを借りたらつい左側車線に入ってしまい、もう少しで正面衝突を喰らうところだった――など、「左側通行の世界」で暮らしている人が左ハンドル車に乗って右側通行で走ると、いろいろと戸惑うことになる。730に向けた準備や訓練、そして事故などはなかったのか。
路線バスの運転手に対する事前の練習らしい練習はなく「空き地のようなところで右ハンドルの新しいバスをちょこっと走らせた程度」だったのだという。事前にバス事業者から沖縄県警に対して訓練の申し出があったが「運転手の感覚を混乱させそうだ」という理由で却下された経緯があったからだ。
那覇市内にある沖縄県公文書館で当時の警察資料を調べると、最初の6週間での事故は軽微なものも入れて全部で2000件弱。バスが路肩から原野に落ちるという事故もあったが、関連の事故死者は事故件数に比してごくわずかにとどまったとある。
むしろ住民を困らせたのは、道路通行方向の変更による、店舗配置の適正化が崩れたことだったらしい。クルマやバスが逆側を走るようになり、例えば、住宅地に向かうバス停の近くにあったスーパーや書店の客足が途絶えた、海に向かう道路の右側にあった釣り餌を売っていた釣具屋店が不便になった――といった大小さまざまな苦情が出て、これらに対する移転補償のようなややこしい問題が起きたという。
バスは出入口変更の必要が
大きな資金が必要と懸念されたのは、進行方向変更に伴う新たな路線バス車両の準備だった。乗降口をバスの右側から左側に、ハンドルを左から右へと変更しなければならず、この財源は国庫補助金などが充てられた。その結果、730の施行前に県内にあった左ハンドル車1295台は、施行に合わせて右ハンドルの新車1019台、中古車3台を導入して置き換えた。さらに左ハンドル車167台が右ハンドル車に改修されている。
では、不要となった左ハンドル車はどこに行ったのか。
筆者は1985年に中国の首都・北京を訪問した際、明らかに日本製のバスなのに中国の道路事情にあった左ハンドル車が大量に置かれているのを目にした。近くに寄って確かめたら沖縄本島にあるバス運営社の表示を発見、今から思えば730で不要となったバスが中国に送られたわけだ。中国でしばらく滞在したが、結局これらのバスを現地で利用することはなかった。
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