ウクライナから予測できる近未来の「台湾有事」 日本が「戦場」になる日ははたして来るのか?

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よって「ロシアとは不可分の一体性」を持つウクライナから外国勢力を排除し、「ウクライナを祖国ロシアに再統合」しなければならない、という論法です。

ロシア人がどういう歴史観を持とうが、それは自由です。それと同様に、ウクライナ人にも彼らの歴史観を持つ権利があります。ウクライナはポーランドの文化的支配を受け、また独立自主のコサックの伝統があります。

専制体制が長く続いたロシア人とは、別の国民性を育んできたのです。

ソ連時代、穀倉地帯のウクライナでは共産党による過酷な収奪がくりかえされ、特にスターリン時代に行われた食糧徴発の結果、大飢饉(ホロドモール)が引き起こされ、少なくとも数百万人が餓死させられました。ロシアでは「計画経済の過ち」で片付けられているホロドモールについて、ウクライナ議会は「特定民族の絶滅を図ったジェノサイド(大量虐殺)である」という決議をしています(2007)。

こういった負の歴史に向き合わず、「歴史的一体性」なるものを強調して軍事侵攻をしたプーチンの言い分は、ウクライナ側には到底受け入れられないでしょう。抵抗するのは当たり前です。

それでもロシアとウクライナは、9世紀のキエフ・ルーシ以来の共通の歴史を担ってきた姉妹国です。それでは台湾はどうか? 中華帝国とはいつから歴史を共有してきたのでしょうか?

台湾は誰が統治してきたのか

あまり知られていないことですが、秦の始皇帝以来、歴代中華帝国は、台湾を統治したことはありません。「陸の帝国」として発展した中国は、大軍を輸送できる海軍を持たなかったため、島国の台湾を占領できなかったのです。この点が、ロシアと地続きのウクライナとの決定的な違いです。

台湾の住民は、東南アジア系の先住民(高山族/高砂族)と、対岸の福建省から渡ってきた漢人農民、さらには海の向こうからやってきたオランダ商人でした。福建は、武装商人団・倭寇(わこう)の本拠地であり、その首領を父、日本人妻を母に持つ武将の鄭成功(ていせいこう)が、オランダ人を駆逐して台湾に独立政権を建てます(鄭氏台湾 1661〜1683)。

清朝の康熙帝(こうきてい)はこの鄭氏台湾を屈服させ、はじめて台湾を併合しました。とはいえ、清の統治が及んだのは福建に面した台湾西部の平野部だけで、東部山岳地帯は高山族/高砂族の支配が続いたのです。

日清戦争に敗れた清国は、台湾を日本にあっさり引き渡しました。先住民の反乱が続き、風土病のマラリアが猖獗(しょうけつ)を極める台湾を、「利用価値なし」と見なしたわけです。

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