ウクライナから予測できる近未来の「台湾有事」 日本が「戦場」になる日ははたして来るのか?

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日本でも「台湾をフランスへ売却せよ」という議論が起こりましたが、明治政府は最初の植民地である台湾の統治に心血を注ぎました。半世紀に及ぶ日本統治を通じて、先住民は抵抗をやめ、特効薬キニーネの投与によってマラリアは沈静化しました。アヘン売買を禁ずる代わりにサトウキビの栽培を奨励し、烏山頭(うさんとう)ダムに代表される治水灌漑工事で米の増産に成功したのです。

民族意識は時代によって変化する

そして日本統治時代の最大の成果は、漢人住民・先住民を包括する「台湾人意識」が形成されたことでしょう。

民族意識を支えるのは「共通言語」です。それまで漢人は先住民と意思疎通ができず、先住民の間でも、部族ごとに言語が違うという状況でした。日本人が台湾全土に小学校を作り、日本語教育を行った結果、はじめて台湾全土の共通語ができたのです。彼らは大日本帝国の臣民でしたが、どう考えても日本人ではない。それでは何人か? 「そうだ、台湾人だ!」となったのです。

英領インドでも同じことが起こりました。多民族国家インドをイギリスが統一して「インド帝国」を樹立し、英語教育を施しました。その結果、東のベンガルから西のパンジャーブまで、英語でコミュニケートできるようになり、「インド人意識」が生まれたのです。

このように民族意識(ナショナリズム)とは、時代によって変化するものです。「過去にウクライナがロシアと一体だったから、今も同じ一つの民族だ」という論法は、現代のウクライナ人には通用しません。

同様に、過去に清朝が台湾を支配していたのだから、台湾は中国の一部だ、という論法は台湾人には通用しません。そもそも清朝は満州人の王朝です。満州人が中国本土と台湾を支配していたのです。

清朝からの漢人の独立を目指した革命家・孫文は、辛亥革命で清朝が崩壊した結果、中華民国の臨時大総統に就任しました。同時に、モンゴルとチベットも独立を宣言したのですが、孫文はこれら少数民族の独立を認めず、中華民国は清朝のすべての版図(領土)を引き継ぐ、と宣言したのです。この歴史観は、毛沢東の中国共産党にも受け継がれます。

1945年の敗戦により日本は台湾を手放し、代わりに戦勝国として中華民国の蔣介石軍がやってきました。このとき大陸からやってきた人たちを「外省人」、以前から台湾に住んでいる人たちを「本省人」と呼んで区別しています。「本省人」=「台湾人」意識を持つ人たち、といっていいでしょう。

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