日本の賃金上昇をストップさせた馴れ合いのワナ 企業と消費者の間の妥協が首をしめる結果に

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それにしても、なぜこのような劇的な変化が起こったのでしょうか。ここでは、そのタイミングから類推できること、1990年代後半に発生した金融危機との関連を指摘しておきたいと思います。

1997年の山一證券の破綻を機に、大手の金融機関が次々と経営難におちいったあの時期のことをご記憶の方も多いだろうと思います。金融危機によって雇用が確保されるかどうかという心配に駆られた人々は、生活を切り詰めるようになりました。

そうした中では、当然のことながら消費者は価格に敏感になるので、企業は値上げなど考えることすらできなくなります。どの経営者も守りに入り賃金も凍結されます。このように考えれば、あの当時、価格と賃金がぱったりと動きを止めたのは当然と思えてきます。

しかし不思議なのは、その後のことです。2000年代には金融機関の経営も安定を取り戻し、景気も持ち直したのですが、それでも価格と賃金は横這いのままだったのです。両方ともあたかも凍りついたように動いていません。そしてその状態のまま今日に至っているのです。

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動きを停止したのが、モノ価格、サービス価格、賃金の3つ、ほぼ同時だったのは、偶然ではありません。賃金だけが横這いで価格は右肩上がりを続けたとすれば、消費者は生活が成り立ちません。賃金が横這いだとすれば価格も横這いでなければ困るのです。

一方、企業にとっては、賃金が右肩上がりで価格は横這いというのでは経営が成り立ちません。価格が横這いなのであれば賃金も横這いでなければ困ります。

かくして、価格も賃金も同時に横這いというのが、両者の「落としどころ」になったと考えられます。本音を言えば、消費者は賃上げが欲しいでしょうし、企業は値上げが欲しいでしょう。しかしそこまで欲張れないとすれば、三つ巴で横這いというのは、それなりに居心地のよい状態と言えなくもありません。だからこそ、それが長続きしているのでしょう。

渡辺 努 東京大学大学院経済学研究科教授

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わたなべ・つとむ

専門はマクロ経済学(とくに物価と金融政策)。東京大学経済学部卒業、米ハーバード大学Ph.D.(経済学)。日本銀行、一橋大学教授を経て現職。2019年4月から東京大学大学院経済学研究科長。株式会社ナウキャスト創業者、技術顧問。

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