鉄道写真家が振り返る「開業150年」の長い道のり 100周年行事の会場は今はなき「汐留駅」だった
再び姿を現した鉄道創業時のホーム跡、駅舎の基礎、機関区跡までの鉄道遺跡を見たとき、筆者は思わず立ちすくんでしまうほどの感銘を受けた。とくにまっすぐ延びる150mのホーム跡の行く手に、新幹線0系「ひかり」が西に向かって走り去った光景は今も鮮烈な思い出である。
1996年には発掘された駅舎とプラットホームの一部の遺構が国指定の史跡となり、2003年には開業当時の外観を忠実に再現した「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」がオープンした。さらに近年では高輪ゲートウェイ駅周辺開発工事により、150年前の当時海の中に伸びていた高輪築堤跡が出土したことは周知のとおりである。
初の駅は「横濱停車場」
ここまで新橋駅、後の汐留駅について触れてきたが、日本最初の鉄道駅は「横濱停車場」だった。
というのは、新橋―横浜間が開業する4カ月前の6月12日に品川―横浜間が暫定開業していたのである。これは新橋―品川間の工事の遅れの影響とされるが、そうすると日本初の駅は品川駅であり横浜駅となるわけだ。
鉄道開業当時の横浜駅は現在の桜木町駅の位置にあった。その理由は江戸時代末期の1859年に横浜港が開港して外国人居留地域があったため、港の近くに駅を設けたためといわれている。1877年に横浜港に上陸したアメリカ人動物学者エドワード・S・モース博士が汽車で新橋へ向かう途中、大森を過ぎて間もなく崖に貝殻が積み重なっているのを見て「大森貝塚」を発見したという話はあまりも有名だ。
横浜駅からJR根岸線の電車に乗って桜木町駅に到着する前、車窓右に掃部山が見える。この山は地元では「鉄道山」として言い伝えられてきた。鉄道開業前から山は英国人鉄道技術者たちの居住地であり、周囲は鉄道院(国鉄)の所有の土地だった。そして鉄道山は昔から湧き水が豊富で、蒸気機関車の給水や、鉄道関係者の生活用水として使われてきたという。
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