かつては"気動車王国"、四国の今昔「名車列伝」 非電化の国鉄時代から現在の振り子列車まで
1988年は日本の鉄道にとって歴史的な転換点となった年である。3月に青函トンネル、そして4月に瀬戸大橋が開通し、北海道・本州・四国・九州の4島が鉄道で直接結ばれるようになった。
瀬戸大橋、そしてここを通る鉄道である本四備讃線(瀬戸大橋線)は同年4月10日に開通した。筆者は開業以前から本四連絡ルートを訪れ、瀬戸大橋の工事現場も何度も取材してきた。開業前に行われた報道向けの試運転はキハ181系特急型気動車が使用され、試運転としてはまれな祝賀ヘッドマークをつけて出発した。
この試運転では、特別に橋の中間地点で列車を止めて報道陣を降ろし、大橋内での列車撮影が行われた。いわゆる「フォトストップ」である。試運転列車ならではのことで、これには報道陣も驚いたものだった。今回は、四国の鉄道について語ってみたい。
国鉄時代は「気動車王国」だった
四国最初の鉄道は1888年10月に松山(現・松山市)―三津間で開業した伊予鉄道である。同社は日本で2番目の歴史を持つ私鉄だ。明治期には各地で私鉄が開業したが、後に国有化されて国鉄(JR)となった路線が多く、最初の鉄道が現在まで続く純然たる私鉄であるのは興味深い。翌1889年5月には、讃岐鉄道(現・JR予讃線、土讃線の一部)が丸亀―琴平間で開業した。これがのちの国鉄、現在のJR四国で初の路線だった。
筆者が初めて四国に渡ったのは1972年、初のキハ181系特急「しおかぜ」(高松―松山・宇和島間)、「南風」(高松―中村間)の運転開始のときだった。ただ、当時の記録はモノクロフィルムにしか残っておらず、本格的な取材は1975年になってからだった。
四国の鉄道は私鉄が電化路線である一方、国鉄線はJR発足直前の1987年3月まで電化区間が存在しなかった。一方で「無煙化」(蒸気機関車全廃)のモデル地区となったことから、気動車による急行や特急が全島を駆け巡る「気動車王国」だった。
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