かつては"気動車王国"、四国の今昔「名車列伝」 非電化の国鉄時代から現在の振り子列車まで

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JR四国は発足後、急速に建設が進む高速道路網に対抗して、高速運転が可能な振り子式気動車の開発を進めた。そして1990年11月には「しおかぜ」に新型の2000系気動車を投入、8往復中6往復で使用開始した。

2000系気動車はJR四国が主体となって開発した制御付振り子式車両で、世界初の振り子式気動車である。新幹線を持たないJR四国の英断といったところであろう。1989年に登場した試作車は「TSE」(Trans Shikoku Experimental)の愛称があり、営業運転にも使用された。また、JR四国の名物列車となり活性化に大きく寄与している「アンパンマン列車」の初登場も2000系だった。

TSE2000系
2000系気動車の試作車「TSE」(左)と213系電車の「マリンライナー」(撮影:南正時)

その後、予讃線の高松―松山―伊予市間の電化完成に合わせて2000系気動車のデザインをベースとしたJR四国初の特急電車8000系が投入された。そして近年は次世代車両として空気バネ式車体傾斜機構を備えた8600系電車や振り子式の2700系気動車が投入され、島内を快走している。

「無煙化」に貢献したDF50形

ディーゼル王国といわれた四国の鉄道だが、ディーゼル機関車について少し記してみよう。四国の鉄道は1968年10月のダイヤ改正で無煙化を果たし、主力となったのは電気式ディーゼル機関車のDF50形であった。

DF50形は1957年に先行試作車が製造され、以後奥羽本線や北陸本線などトンネルの多い線区をはじめ、四国総局にも多く配備された。筆者が昭和50年代初頭に四国を訪れると、客車の先頭に箱型車体が特徴のDF50形の姿を見ることができたし、多度津駅の跨線橋から機関区を眺めると、DF50形とDE10形が双璧を成しており壮観な眺めだった。

DF50形1号機は現在、伊予西条駅に隣接する四国鉄道文化館で極めて美しい状態で展示公開され、車籍を有している。隣には0系新幹線も保存されている。新幹線がどうして四国に?と思われるが、東海道新幹線の開業に力を入れた当時の第4代国鉄総裁・十河信二は伊予西条出身で同市の市長まで務め、ゆかりの東海道新幹線車両を保存して顕彰しているのである。

余談だが予土線では0系を模したキハ32形「鉄道ホビートレイン」が2014年から運転されているのも「新幹線を作った男」十河元国鉄総裁へのオマージュといったところであろう。

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