東京のドヤ街「山谷」男達が写真を撮り続ける訳 写真部に集まる男性達が抱えるさまざまな事情
ミサオさんは、過去に別の猫に救われた経験がある。家を失くし、千代田区の公園で寝泊まりせざるをえなかったとき、夜はいつも猫と一緒に寝ていた。猫があたためてくれたおかげで、寒い日々を乗り切ることができたという。
閉ざされた「山谷」と社会とのつながりを
ミサオさんと同じく初期メンバーでもあり、リーダーのマサハルさん(70代)は、山谷で22年間炊き出しなどのボランティア活動を続けてきた。現在は定年退職し、年金生活を送りながら、山谷で暮らしている。
どんなに空腹でも『オレは施しを受けない』と言って食事を受け取らないプライドの高い「おじさん」や、生活保護受給後に「トンズラする人」も見てきた。それでも、山谷に居続ける理由について、「結局、ここが好きなんだよ」と話す。
「写真部の活動があると、やっぱり生活のハリが違う。身体が丈夫であれば、ドヤでの生活は、朝起きて、テレビみて、朝昼晩のごはんの心配しかない。でもここに来れば、話し相手がいるじゃない」(マサハルさん)
マサハルさんが撮影した写真の中には、椅子の上に置かれた元メンバー、マッチャンの遺影もあった。マッチャンも初期メンバーの1人。遺影が置かれた椅子はマッチャンがよく座っていたものだという。
マッチャンは写真部にいたため、ほかのメンバーから写真を撮影してもらう機会があった。しかし、山友会スタッフの後藤勝さんによると、山谷で亡くなる人には身寄りがない人も多く、遺影に使える写真がない人もいるという。
中には、人とのつながりがないために、亡くなっても発見が遅れてしまうこともあるそうだ。後藤さんは、しばらく顔を見てないメンバーがいると、ドヤを訪れて「写真、撮っていますか?」と声がけしている。