東京のドヤ街「山谷」男達が写真を撮り続ける訳 写真部に集まる男性達が抱えるさまざまな事情

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心の中でプツンと何かが切れた。「人と関わりたい」という気持ちが失せて、「働きたくない」と思った。すべてに疲弊しきっていた。

神奈川県内の住まいを引き払い、路上で生活できる程度の荷物を積んだ自転車に乗り、山谷へと向かった。ほぼ毎日炊き出しがおこなわれていることをネットで知ったためだ。「ここなら生きていける」。そう思った。

晴れている日は公園、雨の日は橋の下で寝る日々。小銭をくれる人がいたため、その金を貯めてアウトドア用のテントを購入し、数カ月間、路上生活を送り続けた。

約2年前、職業紹介や応急援護などの支援をおこなう城北労働・福祉センターで利用者カードをつくった。年末年始はドヤに無料で宿泊でき、コンビニ弁当の引換券をもらえるためだ。ドヤに泊まってみると「部屋で暮らしたい」という気持ちになった。

路上生活者の支援などをおこなうNPO「山友会」のスタッフに相談して、生活保護を申請。2021年3月からは、介護などが必要な人のために、山友会が提供する宿泊施設「山友荘」で配膳の仕事を始めた。

「今は、山谷で暮らしながら、アンドロイドのスマホを使って写真を撮っています。アイフォンよりも画質がいいんですよね。ここでは、僕は『新入り』なんです。スタッフとメンバーに誘われて、今年5月に『メンバー』になったばかりなんですよ」

写真部では随時撮影会をおこなっており、学生のボランティアも参加する。向島百花園での撮影会の一枚(クラキさん撮影・提供)

コロナで派遣切り「すこしでも前向きになれれば」

実は、冒頭の男性たちは、山谷で生活しながら、街や風景、人物などを写真で記録する活動をおこなう写真部(「山谷・アート・プロジェクト」)のメンバーだ。この日は、それぞれが撮影した写真を見せ合うミーティングのため、NPO「山友会」に集まっていた。

メンバーは、40代から70代の男性。山友会が用意したデジカメや個人スマホで撮影している。

山友会の建物。1階は無料診療所となっており、保険証なしで診察が受けられる(9月5日、弁護士ドットコム撮影)

山谷にやってきた経緯は、人それぞれ。2021年10月からメンバーに加わったコウジさん(40代男性)は、コロナ禍で派遣切りにあい、山谷で暮らすようになった。

「写真部には自分から入りました。写真を撮って、少しでも前向きになれればいいなと思ったんです」(コウジさん)

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