大阪名物の串カツ「実は東京発祥」その驚きの歴史 「二度漬け禁止ルール」はこうして生まれた

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

実はこの串カツ、明治時代の東京で生まれた屋台料理である焼鳥の伝統から生まれたもの。

なぜ焼鳥は一口大に切った肉を串に刺して焼くのか。それは屋台において、コップ酒片手にもう一方の片手で食べられるように串に刺したのです。この焼鳥のビジネスモデルを応用したのが、串カツです。

ソース共用、二度漬け禁止ルールも、江戸時代の東京(江戸)で生まれた屋台料理、握り寿司や天ぷらの伝統から生まれたもの。

東京の握り寿司屋台では、大きな丼に醤油を入れ、そこに手で持った寿司を漬けて食べました。

天ぷら屋台では、箸でつまんだ天ぷらを共用の丼の天つゆに漬けて食べました。

東京の屋台文化から生まれたものだった

いずれも二度漬け禁止。東京人にとってソース共用二度漬け禁止はおなじみのルールだったのです。

また、串カツが生まれた明治時代末の東京では、洋食の屋台というものが存在し、カツレツを立ち食いすることができました。

(大道飲食店(二)一品西洋料理 『実業世界太平洋 1903(明治36年)13号』より)

焼鳥、握り寿司、天ぷら、洋食。串カツは、東京の屋台文化から生まれた料理だったのです。

近代食文化研究会 食文化史研究家

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

きんだいしょくぶんかけんきゅうかい / Kindai Shokubunka Kenkyukai

食文化史研究家。2018年に『お好み焼きの戦前史』を出版。以降、一年に一冊のペースで『牛丼の戦前史』『焼鳥の戦前史』『串かつの戦前史』『なぜアジはフライでとんかつはカツか?』等を出版。膨大な収集資料を用いて近代の食文化史を解き明かしている。(Amazon著者ページTwitterアカウントnote

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
ビジネスの人気記事