学習障害(LD)という概念がある。全体的な発達には遅れはない一方で、文字の読み書きに限定した困難が生じる。村田さんの場合はおそらく、その中でも書字に困難を抱える書字障害(ディスグラフィア)だったと思われる。
今でこそ、この概念もそれなりに認知されているが、40年以上前の当時は状況がまるで違った。
「思えば、幼稚園に入った時からつまずきがあったようで、入園して3日目に先生から『もう一年先においで』と言われて。要するに退園になったんです。レベルに足りないと判断されると、アメリカでは結構はっきりそういう対応になるんですよね」
日本から移住したばかりで英語が不得意だったことも影響しただろうが、おそらく、幼稚園の先生から「この子は他の子とは少し違う」と判断された面もあったのだろう。
また、一方で村田さんは、調和を重んじる日本の文化にもずっと馴染めなかったという。
「アメリカは円の文化で、みんな地べたにあぐらを組んで丸くなって、そのなかで手を上げて話すような学び方だったんです。でも日本では、みんな椅子に座って先生に向かって縦に並んでいますよね。教室に入った瞬間、『ここは軍隊か!?』『怖い……』と思ったのを今でも覚えています。
その後も、画一的な指導とは相性が悪くて、『学ぶ楽しさ』はなかなか感じられませんでした。親の都合で転校も繰り返し、高校受験では、いわゆる“偏差値輪切り”の進路指導によって、教師に言われた都立高校へ進学しました。先生が板書して生徒が聞く、それを朝から晩まで……という授業が、もう退屈で退屈で。普通の人は合うのでしょうけど、私はどうしても合わなかったんです」
避難したのは「本の中の世界」
そうして、高校生になった村田少年がのめり込んだのは、本の中の世界だった。
「書字への苦手意識もあり、もとから読書が好きだったわけではないんです。むしろ、父から『お金あげるから本を読んでくれ、漫画でもいい』と懇願されるほどでした。そんな経緯もあり、漫画から読み始めたのですが、そこから椎名誠の旅のエッセイを読んだりを経て、エッセイストが書いた小説を読むようになりました。
すると、退屈な授業の一方で、小説を開けばいろいろな世界が広がっていることに気づいて。どんどんのめり込んでいった自分は、いわゆる“本の虫”になって、朝まで読んでしまうことも。いつしか昼夜逆転の生活をするようになりました」
無料会員登録はこちら
ログインはこちら