和を重んじる学校という場所には居場所はなかったようだが、個人事業主や経営者としては、メインストリームではないものの、居場所はあったらしい。
「教育に落ちこぼれた私が、そしてあれほど『教師が嫌い』だと思っていた人間が、教育に関わる仕事をしているというのは、我ながら不思議で仕方ありません」
「しくじり帰国子女」と名乗る現在
アメリカで幼稚園を退園したことに始まり、人生で4度もの中退を経験した村田さん。
定型発達児にはわからない苦悩を抱えながら、日本独特の教育に疑問を抱き続けてきたわけだが、年齢を重ねたことで気持ちにもさまざまな変化があり、いま自身が教育に携わる仕事をするうえで、心がけていることがあるという。
「最近、自分のプロフィールに、“しくじり帰国子女”って書いてるんです。一般にイメージされるようなキラキラした帰国子女ではないし、中退で学歴もない。ずっとコンプレックスでした。
でも、中学受験が加熱している今、自分はあえてしくじった過去を出していこうと思うようになりました。みんな同じスピードで成長できるわけじゃないし、受験に失敗したり、受験した学校を辞める子もいるわけで……だからこそ、『教育現場にもしくじった側の人間も必要なんじゃないか』と思うようになったんです。
自分は現在も決して本流ではない生き方ですが、傍流は傍流なりに力強く、そして『どうせなら、明るくやっていこう』と決めています。だからこそ金髪にしてみたりなんかしてね(笑)。
20~30代までは、中退したことで『もう社会の本流には戻れない』という挫折感を感じていましたが、50歳も間近になると、学歴に囚われることもなくなり、気持ちも軽くなってきました。
だからこそ、もし今、学校に馴染めなかったり、馴染めずに中退して悩んでいる10代・20代の子がいたら、『未来はそんなに全部暗いわけじゃないよ』って、伝えてあげたいですね」
幼稚園中退というワードや、終始和やかな口調もあり、取材開始時は楽しく話を聞いていた筆者だったが、村田さんの挫折が発達の偏りに由来するものだと知るなかで、その笑顔の奥に強烈な苦悩・不安があることを知った。
また、高校を中退したことで親戚の集まりでは“ドロップアウトした子”として、腫れ物に触るような感じだったそうで、教職一家だった親族のなかでも、孤立していった状況もうかがえる。
一口に中退と言ってもその理由はさまざまで、彼のように画一的な学校教育に馴染めなかった人も多くいるはずだ。本連載ではそういった声も取り上げ、寄り添いながら、一度ドロップアウトした側の視点で、今の日本社会を描き出していきたい。
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