38歳の綿矢りさはとてつもなく深みを増していた 新刊『嫌いなら呼ぶなよ』は今の彼女こその等身大

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当時の綿矢にとって思うものがあったのだろう、大学の卒業旅行では太宰の生家を訪れた。

「私も太宰治大好きでしたけれど、私の書いているものはそういうのじゃないなという感じがします。本当に10代とか20代の青春がずっと続いているような文章書く人もいるんですよね。尾崎豊もそうですし、そういう人のほうが神格化されやすいという。

でもそれだけのヒリヒリした感情を昔よりもゆっくりになってきている体でやるわけやから、きっと工夫があったんじゃないですかね。家庭の幸福をあきらめるとか、若者と同じくらいムチャな暮らしをするとか、そういう努力があってこそ続けられる技なんじゃないかなと思いますね」

このインタビューシリーズに登場した作家の中にも「小説家なんかみんな不幸ですよ」と語ってくれた人たちがいた。作家が幸せになったらもういいものは書けない、などという小説論も聞く。生き方をまるごと創作につぎ込む小説家とはなんと難儀な商売なのか……と、畏怖に近い感想を抱くが、それはプレッシャーではないのだろうか。

「それで同調圧力みたいなのが強かったら苦しいときもあったかもしれないけど、わりと個性尊重の業界なので、『君はダメだよ、そんなに平穏の中にいたら書くほうが鈍ってしまうよ』なんて直接言って押し付けたりする人はいないです。

幸せを追い求めたらいいものが書けないからつらいなんて高尚な理由でやめたくなったことは1回もないんですけど、小説家をやめたいなと思ったのは書くものが思いつかなかったときですね。そのときはやめたかった。もう思いつかなくなったらやめたいと思うけど、ちょろちょろと書きたいものがいつもあるから、なんとか続けています」

ターニングポイントは、恐怖感がなくなったとき

20年間で、綿矢にも書けないときがあった。「今はいろいろ書きたいものがあるけど、いつかなくなるんじゃないかっていうのはいつも思っています。30代に入ってからはなくなったんですけど、20代のときとかは『書けない』が頻繁にあったから、そのときはしんどかった」

職業作家とは、どんな人間にだってあるアップダウンをいやおうなく世間に見せ、しかも評価(ジャッジ)されながら生きていかなければならない職業だ。この、目の前に座る美しい作家はそれを17歳の時分から20年以上も続け、なお書き続ける強靭な精神力を備えた人なのだ。

ターニングポイントのようなものがあったのか、と聞いてみた。「大江賞よりちょっとあとぐらいかな、27、28歳の頃に、考えたことをそのまま書けるんや、と気づいたんです」、そうしたら恐怖感みたいなものがなくなったのだと綿矢は言った。

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