東大生が「世界史」嫌いに伝えたい根本的な勘違い 「世界史=世界の歴史」と考えるのは不正確
仮に、例えば地中海の人々が東アジアの人々の存在を知ったとしても、おそらくそれはまったく別の世界の人々に見えたことでしょう。つまり、古代においては地球という1つの世界はなくて、地球上にいくつもの「世界」があったといえるのです。
そんないくつもの「世界」同士が、膨大な時間を経て、融合していくことになります。時に交流を深めたり、時に対立をしたりしながら、地球という「世界」ができあがっていった結果が、今の「世界」なのです。
みなさん、もうわかりましたか。この過程を追うのが、世界史という科目だと言えるのです。「世界史」とは別に、「世界という1つのまとまりの歴史」というわけではないのです。古代にバラバラに成立したいくつもの「世界」が、すこしずつ融合していって「地球という1つの世界」になる様子をみる科目、それこそが「世界史」なのです。
今の時代では当たり前のものが昔はバラバラだった
では、具体的に「世界が1つになる」とはどういうことか、みなさんは想像できるでしょうか。
実はこれは、今の時代では当たり前に使われているものがヒントになります。バラバラだった世界が1つの世界になると共に、それぞれの世界で独自にあったものが、地球全体で統一される(されつつある)といったことが起こりました。
例えば、暦や年の数え方を例にあげましょう。もともとそれぞれの世界でそれぞれの年の数え方があったものが、今はほとんどの地域で、「西暦」がメインで使われています。どの地域にいっても、「今は何年?」と聞くと、たいてい「2022年」と返ってきます。
古代においてこんなことはありえないでしょう。日本列島の人間とアメリカ大陸の人間で共通の年の数え方をしてはいませんでした。バラバラだった世界が、1つの地球という世界へと変わっていったから、今は統一されているというわけですね。
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