東大生が「世界史」嫌いに伝えたい根本的な勘違い 「世界史=世界の歴史」と考えるのは不正確
さて、ということで世界史という科目の重要性はわかってもらったと思うのですが、実は多くの人が「世界史」という科目を勘違いしています。
世界史って「世界の歴史」だから「世界史」だと思っていませんか。世界という1つのまとまりの歴史を、古代から現代まで追っていく科目だ、と。
私は、その理解は不正確だと思っています。まず、言葉の定義をはっきりさせましょう。そもそも「世界」ってなんでしょうか。
みなさんは「~世界」「~界」とつく言葉と言われて、何を思い浮かべるでしょうか。「芸能界」「政界」「球界」など、いろいろあるでしょう。
では、これらに共通する特徴は何かあるのでしょうか。これらは「芸能」「政治」「野球」など、何かしら同じ活動や文化を共有する人々の集まりです。ということで、「世界」という言葉は、「同じ意識や文化、生活を共有する人々の集まり」を指すと言えるのです。
古代は「世界=地球」ではなかった
もちろん今現在、私たちが「世界中の人々が~」などといったときに、その「世界」は「地球」を指す言葉として使っていると思います。しかし「世界=地球全体」になったのは、けっこう最近の話なのです。
現代の人々は「われわれは同じ地球に住んでいる人類だ!」という「意識」を共有しているから、当たり前のように「世界」といったら「地球」が想像されます。でも、このような意識は昔からあったわけではありません。古代の時代には「世界」といっても「地球」を指していたわけではないでしょう。
今でこそ世界に旅行する人も多いわけですが、別の国に移動することが禁じられている時代もザラにありましたし、まったく移動をせず1つの場所で自分の命を終える人が多かった時代もありました。そもそも地球というものの認識すらあやふやで、丸いのか平らなのか、動いているのか止まっているのか人によって考えが違うという時代もありました。
その時代の人にとっては、自分のまわりで、自分たちと同じ生活をしていたり、同じ宗教を信じていたりする人々こそが「世界」だったのです。
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