白浜からは山あいへと進む。対向車とのすれ違いに注意しなければならない、いわゆる狭隘(きょうあい)路線で、大型バスが入り込んでよいものかと思ってしまうが、運転士のハンドルさばきは確かだ。
中心集落の重茂には、津軽石からトンネルを経由するバイパスが通じているが、バスは音部などの集落へ丹念に立ち寄る。復興工事中の音部漁港も通り、再び山道へ。重茂半島でも、古くからの集落は山間部にある。
笹見内で、運転士が何か荷物をつかんで降り、そばの民家へと届けた。何だろうと思っていたら、9時21分に着いた舘上では数人がバスを待っていた。
運転士が渡したのは新聞の束。すぐ開封され、てきぱきと仕分けされて、集落内の各家庭へ向けて自家用車で運ばれてゆく。重茂漁協前、重茂車庫、千鶏でも同じ風景が繰り返された。朝の重茂半島行きの大きな使命は「新聞配達」であったのだ。
人口が少なく道路事情が良くない土地なら路線バスで運ぶやり方は合理的で、長年、続けられてきたのだろう。かつては各地でふつうに見られた風景でもある。過疎化とインターネットが普及した今では、いつまで続くか。
昼前の買い物の足
重茂車庫で小休止し、再び急坂を下りて再建中の漁港、里へ。区間便が設定されているのは、要するに重茂から先、人口がさらに減るからで、ひたすら山道を行く。重茂半島で最も有名な観光地は、本州の最東端、魹(とど)ヶ崎。案内板も随所に見られるが自動車が通れる道はなく、姉吉バス停から徒歩で向かうしかない。
終点の石浜には9時55分に到着。わずか1分で折り返す。この先、山田編で訪れた浜川目までは12kmほどあり、県道は通じているがバス路線は途切れている。
重茂半島からの帰りの便には数人の乗車があった。宮古駅前行きとしては3本目になり、朝の通学、通院に続いて、お昼前に市街地へ出て、買い物などの用件をこなそうという需要だ。
川帳場まで戻り、先ほど対岸から眺めた国道45号を北上する。宮古商工高校の商業校舎前を通ると、郊外型の小売店が現れ、宮古の市街地へ入る。閉伊川の河口を三陸鉄道と並んで渡るとすぐ、元は宮古市役所の最寄りバス停でもあった信用金庫前。さらに海沿いに先へ進むなら、ここで乗り換えだが、時間があるので宮古駅前まで乗り通す。11時21分着。石浜から信用金庫前までは870円で、Suicaで支払えるのが不思議な感じもする。
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