日本を圧倒する「韓国コンテンツ」不動の人気の訳 30年前からすでに始まっていたグローバル展開
どのジャンルでも、世界的な名声を得るには、アメリカで認められることが不可欠かもしれません。韓国コンテンツで初めてそれを成し遂げたのは、K–POPガールズグループWonder Girlsでした。
Wonder Girlsは日本でも有名なJ.Y. Parkが手掛けたグループで、J.Y. Parkは当時、彼女たちと一緒にアメリカに住みながらアメリカでの活動に注力しました。その結果、2009年にWonder Girlsの「Nobody」がアメリカのシングルヒットチャートであるビルボード「HOT100」に韓国アーティストとして初めてランクインし、2010年には計27公演の北米ツアーを実現しました。
さらに、2012年にはPSYのミュージックビデオ「江南スタイル」が、YouTubeの再生回数で当時の過去最高を塗り替える大ヒットを記録し、世界を熱狂させました。2010年前後のK–POP が成し遂げた成果は、K–POPなど韓国コンテンツがアジアを超えて、全世界にアプローチするノウハウを築けたことだといえます。
アメリカでWonder GirlsやPSYが活躍する間、日本ではKARAや少女時代など韓国のガールズグループが大ヒットしていました。ドラマの人気が中心だった「第1次韓流ブーム」に対し、KARAと少女時代は日本におけるK–POPの先駆け的存在となりました。
また、男性俳優のチャン・グンソクがドラマ「美男ですね」をきっかけに絶大な人気を博したこともあり、この時期は「第2次韓流ブーム」ともいわれます。
政治や国際情勢がコンテンツの輸出に影響
しかしその後、韓国コンテンツは日本でしばらく影をひそめることになります。その背景については韓国に限った話ではありませんが、政治や国際情勢がコンテンツの輸出に影響を与えるということは少なくありません。2012年8月、韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領(当時)が竹島(日本名/韓国名・独島)に上陸したことで、日韓関係に緊張感が漂います。
また2016年には、THAAD(終末高高度防衛ミサイル)配置の方針を巡って、韓国は中国との関係も悪化し、中国へのコンテンツ輸出も難しくなりました。
その影響で、日本や中国に向けての韓国ドラマの輸出や、K–POPアーティストのテレビ出演が激減。これまで大きな市場であった日本や中国で利益を生むことが難しくなり、韓国エンタメ業界は頭を抱えました。
しかし、テレビで見かけなくなったとはいえ、韓国コンテンツのファンが消えたわけではありませんでした。ライブを開催すればチケットは完売し、交流イベントも盛況だったのです。「テレビなどのマスメディアに出なくても盛り上げることができる」と実感した韓国コンテンツは、ここから「脱マスメディア」を探り始めました。
ちょうど2010年代は、YouTubeや各種SNSの普及が加速した時期でもあったため、タイミングも後押しをしたと思います。
韓国のコンテンツクリエイターたちはこうしたツールをうまく使いこなし、世界への発信をダイレクトに行うようになりました。SNSであれば、相手国のテレビ局や提携先にそれほど気を使わなくても済みますし、政治的なリスクを極力避けることができます。リリース時期や時差を気にせず、世界に同時発信することができるのも大きなメリットでした。
このようなメリットをいち早く経験した韓国のコンテンツクリエイターたちは、2010年代の半ばから積極的にデジタルコンテンツ作りに取り組みます。そして結果としてYouTube再生回数が1億回を突破するミュージックビデオを何度も世に送り出したBTSやBLACKPINKに、Netflixで世界を熱狂させた「イカゲーム」などがあるのです。
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