まず1つ目は「誰も自分なんかとは話したくないに違いない」という思い込みです。
特に「迷惑恐怖症」の日本人は、「誰かに話しかけるのは迷惑に違いない」と考えがちです。もちろん、仕事中や忙しい人にいきなり話しかけるのは嫌がられますが、実態は多くの人が話すことへの「渇望感」を募らせています。
特にコロナ禍でなかなか人と気軽におしゃべりができない時代に、冒頭の女性のように、「誰かとつながりたい」「誰かに自分の話を聞いてほしい」という人は増えているように感じます。
実際は、「誰もがあなたと話したがっている」
人は、本能的につながりを求める「social animal(社会的動物)」です。人とつながりたくてもつながれず、不安で寂しい「孤独」は「群れから排斥された状態」を意味するので、肉体や精神に大きな負荷がかかるとされます。
喉が渇けば「水を飲め」、お腹がすけば「何か食べろ」というサインが脳から出るように、孤独感は「誰かとつながりなさい」という脳からのサインにほかなりません。だからこそ、その痛みは強烈であり、まさに「孤独=心の飢餓」と形容されるほど深刻なものなのです。
「誰かにその存在を認めてほしい」「話を聞いてほしい」。みなさんもそう思うことはありませんか? 実は、多くの人が「同じ欲求」を持っているのです。
人見知りを克服したいと、アメリカでコミュニケーション修業をした私に、ネットワーキングの鉄人が教えてくれたのは、「誰もがあなたと話したがっているんだと思い込みなさい」ということでした。
その視点で周りを見渡すと、パーティーなどで、「話しかけられるのを待っている人が想像以上に多い」ことに気づきました。
「話しかけるのは正義」。そう信じて、マンションの住民や旅先で出会う人に話しかけるようにしたところ、喜んでくれる人が想像以上にたくさんいました。何気ない会話を多くの人が楽しんでくれたのです。誰もが「誰かの孤独を癒やす存在」になりうるというわけです。
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