残念な人の「ツイッターの使い方」よくある4大NG 「使う人」「見ている人」は要注意!あなたはOK?
よくある2つめのNGは、「友人からの情報を鵜呑みにしてしまう」ことである。
ツイッターはいつのまにか、情報が流れる巨大インフラになってしまった。「人間関係のインフラ」の上に「情報のインフラ」が重なり、人間関係を通じて情報が流れるようになったのだ。
「どういう人間関係をつくっているか」で流れてくる情報が決まってしまうことになり、政権批判の好きな人が友人に多ければ「政権批判の情報」ばかりが流れてくるし、政権擁護ばかりしている友人が多ければ「政権寄りの情報」ばかりが押し寄せてくる。
投稿を安易に信じるのは避けたほうがいい
さらには陰謀論が好きな友人がいると、その友人の偏った投稿をそのまま信じて、知らず知らずのうちに自分まで陰謀論に染まっていってしまうことも起きかねない。「知り合いだから」とその投稿を安易に信じるのは避けたほうがいい。
3つめは、「肩書やフォロワー数にだまされてしまう」ことである。その分野の専門家であるか確認するためにも、コメント投稿者のプロフィールは必ずチェックが必要だ。
「テレビに出ている専門家だから」「YouTubeチャンネルの登録者数が多いから」といって、その人の語っていることがすべて正しいは限らない。「複数の人の意見」を横断的に見て、1つの記事や意見だけを鵜呑みにしないほうが賢明だ。決して情報を発信する人の肩書やフォロワーの数だけで、情報の正しさを判断してはいけない。
たとえば、新型コロナ記事についてのコメントなら、「感染症専門医」とプロフィールにあれば信頼性は最も高い。「医師」であるかどうかも重要なポイントだが、「医師」だからといって感染症に詳しいとは限らないからだ。
この複雑な社会ではどの分野も専門性が極めて高く、同じような資格や肩書の持ち主でも、少しでも専門外だと皆目わからないということがよくある。逆にツイッターのプロフィールに「医師ですが、感染症の専門医ではありません」とわざわざ謙虚に書いている人のほうが、ずっと信頼できる場合も多いように感じる。
自分の専門分野に自信を持っている人ほど、ほかの専門分野へのリスペクトも大きい傾向がある。軽々しくほかの専門分野に口を出すことはなく、だからこそ「コメントするときは、かなり慎重に言葉を選ぶ」という姿勢を、そういう人はきちんと保っている。
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