「県の育英会から借りた入学一時金の50万円は、毎月1万6000円の返済だったので、2〜3年で完済しました。でも、日本育英会の分を含めると3万円近くになるので、非常勤だと結構大変。だって、非常勤の私は年収にして120万円程度でしたからね……。
それで、副業もOKだったので、いろんなバイトをしていました。当時は教員採用試験の勉強もありましたが、正直勉強は半分諦めていて、とりあえず生活が先でした」
1コマごとの時間契約で授業をする非常勤講師。家庭科ということも、低年収に影響したようだが、そんな綱渡りの生活のなかでも、6年目に転機を迎える。
「偶然、中学校の同級生と再会して結婚したことをきっかけに、中学生まで過ごした東海地方の某県に戻ってきたんです。同時にその県の教員採用試験を受けたら、なんと一発で合格! 当時はもう、仕事もプライベートも順風満帆でした」
しかし、教師の過酷な労働状況に、心身は次第に悲鳴をあげていく。
「正規の教諭としての勤め先は特別支援学校だったのですが、上司(男性)が厳しくて……。研修、レポート、研究授業の連続で、毎日もう日付が変わる前まで時間がかかってしまい、あとは帰って寝るだけ。それなのに、『もっとできるだろ!』と叱責されました。
その上司は私より年上で、ずっと採用試験に落ち続けてきた人だったんですね。だから、新婚で、試験に一発合格した私にやっかみみたいなものがあったんだと思います。
私は私で、まだ摂食障害があったので、気は遣うようにはしていましたが、ついに耐えきれなくなってしまって。職場に行こうとすると吐いてしまうようになったので、退職することになりました。当時は『やっと、頼れる家族ができた』という安心感もあって、糸が切れたんだと思います」
奨学金返済のたびに落ち込んだ日々
病気もなかなか治らず、職場ガチャにも外れた三宅さんだが、結婚後も奨学金の返済は終わらない。退職後はどのようにして、返済していたのだろうか?
「日本育英会から借りた240万円は毎月、1万3000円の返済でしたが、派遣やパートで貯めたお金で返したり、主人に出してもらったりしていました。ただ、返済のたびに落ち込みました。奨学金を借りてまで大学に進学して教員免許を取ったのに、辞めてしまったら、何にもなく、ただ借金だけが残ったわけですから」
その後、子宝に恵まれるが、摂食障害は依然として治らなかった。
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