財政健全化論こそが「無責任の極み」である理由 増税は「財源の確保」ではなく「財源の破壊」だ
このように、貨幣とは、民間銀行の貸し出しによって「創造」され、民間銀行への返済によって「破壊」されるのである。
まずは需要ありき
さて、貨幣は銀行の貸し出しによって「創造」されるということは、そもそも、借り手となる企業や家計の需要がなければ、貸し出しが行われず、貨幣は創造されないということになる。
すなわち、貨幣の創造の出発点には、企業等の資金需要がある。企業等の資金需要があって、民間銀行が貸し出しを行うことで、貨幣が創造される。その貨幣が民間経済の中で使われて、循環する。最終的には、企業等が収入を得て貨幣を獲得し、銀行に債務の返済を行うことで消滅する。
したがって、もし不況によって、企業等に資金需要がなければ、銀行による貸し出しは行われないので、貨幣は供給されなくなり、経済の中を循環しなくなる。貨幣が循環しなければ、経済は成長しない(これが、過去20年以上も停滞する日本経済の姿である)。
ここからわかるように、まずは需要ありきなのである。
さて、貨幣は、貸し出しによって創造され、返済によって破壊される。そして、貨幣供給の出発点には、需要がある。
この貨幣循環の過程は、政府に対する貸し出しに関しても同じである。
まずは、政府の需要がある。そして、中央銀行が政府に貸し出しを行う。ここで、貨幣が「創造」される。
政府は、創造された貨幣を支出し、民間部門に貨幣を供給する。そして、政府は、課税によって民間企業から貨幣を徴収し、それを中央銀行に返済すると、貨幣は「破壊」される。
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