今の日本で「ナチス映画」が大量に公開される背景 関連作品は月1本のペースで封切られている
映画のタイトル命名、特に洋画に邦題を付ける際には、観客の関心が高いキーワードを盛り込むことが必須なので、ヒトラー、ナチスといった言葉にいかに多くの日本人が興味を持っているかということの証明となる(ちなみに上記7作品の原題にはいずれもヒトラー、ナチスなどという文言はない)。
今改めてこのような作品が訴えることは何なのか、我々はそれをどう観るべきなのかを考えてみたい。
ナチスの蛮行による無数の悲劇
ナチスドイツの蛮行、彼らが起こした戦争は、600万人のユダヤ人のほか、ロマ(ジプシー)、障がいを持つ人等を虐殺し、兵士、一般市民合わせ数千万人の尊い命を奪った。
「数千万人」と文字にすればほんの一言だが、その一人一人にはその人だけのかけがえのない人生があったはずである。戦後日本を代表する知識人・堀田善衛は、日中戦争下で起きた南京事件を中国人の視点で書いた小説『時間』の中で、「何万人ではない、一人一人が死んだのだ。一人一人の死が何万にのぼったのだ」と書いているが、我々はこうした視点を忘れてはいけないと思う。
そこには数えきれない悲劇があった。赤ん坊から老人まで何の罪もない人々が殺された。平穏な暮らしの一切を失い、愛する家族、恋人、友人と永遠に引き裂かれた。祖国に殉じ無数の兵士が斃たおれた。
一方、幸運にも生還、再会することができた人もいた。
これら個々人と国家、民族レベルの惨事を題材にした作品群の中には、悲劇を悲劇のままで終わらせるものもあれば、最後に救いや希望を込めた作品も多数ある。良心にしたがい、人間の尊厳を守るため命をかけて闘った一般人、兵士や軍人を描いた作品もある。時の流れとともに、ナチスドイツの犯した罪を告発したり、彼らへの復讐を描く作品も増えていった。
商業・娯楽映画として見ると、これらの作品には、ヒトラー、ナチスという「絶対的悪者」が存在し、他のシチュエーションでは容易に創造し得ない、真の歴史に根差した分厚い人間ドラマをスリルとサスペンスを交えて描くことができるという特徴がある。
戦争映画の一面で見ると、アクション、スペクタクルの要素も併せ持つ。誤解を恐れずに言えば、映画として無類の、ヒットする要件を揃えた題材の宝庫だとも言えるのだ。
ヒトラー、ナチスを描いた映画が多くの人々を引き付ける所以(ゆえん)である。
次に、ヒトラー・ナチス関連映画のもう一つの特徴として、この間の歴史的事実を「被害者」「加害者」両方の視点で描き出している点がある。
ナチスの非人道的な所業の最たるものはいうまでもなくユダヤ人の虐殺(ホロコースト)である。ではなぜこのような怖ろしい行為をドイツという近代国家が遂行したのか。
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