「マイファミリー」過去の誘拐ドラマと圧倒的な差 俳優でありジャニーズアイドル二宮和也の真価

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かつてジャニーズ事務所の創設者であるジャニー喜多川は、「アイドルづくりは人間づくり」だと語っていた。アイドルには歌やダンス、そして演技といったスキルももちろん必要だが、それ以前にその人間が本来持っている個性や魅力を発揮することが最も重要という意味だろう。

二宮和也という俳優は、そうしたジャニーズアイドルの理念を具現したような存在だ。ただそこにいるとしても、そこには彼ならではの芯の強さ、ユーモア、そして独特の陰影が感じられる。それは、人間・二宮和也の内側からにじみ出てくるものだろう。そんな素の部分を役柄と共鳴させることで、俳優・二宮和也にしか表現できない魅力的な登場人物が造形される。

その意味で、人間・二宮和也と俳優・二宮和也は表裏一体であり、突き詰めればジャニーズアイドルであることが彼一流の説得力ある演技につながっている。それはジャニーズタレントの演技全般に通じるものだが、とりわけ二宮和也においては顕著だ。

「人間ドラマ」としての『マイファミリー』

『マイファミリー』でも、そんな俳優・二宮和也の真骨頂は存分に味わうことができる。いやむしろ、連続誘拐事件という非日常的な設定は、二宮和也のナチュラルな、それゆえリアルな演技をより際立たせる格好の舞台にさえなっている。

妻の未知留とのわだかまりがとけず黙って話を聞いているときも、犯人とのつながりを周囲に疑われ困惑するときも、その姿はとにかくナチュラルだ。ことさら演じている感じが一切ない。それは、たとえ感情がほとばしって大声で叫ぶときであっても同じだ。

最初のところでも書いたように、『マイファミリー』は、二宮和也演じる鳴沢温人が、夫であること、父親であることに目覚めるドラマだ。ただしそれは、夫や父親の常識的な役割に自分を当てはめるということではない。傷ついた妻や娘のためになにができるかをひとりの人間として真剣に考え、実行するようになるということだろう。

『マイファミリー』は、謎解きの楽しみに満ちたエンタメドラマであるとともに、すぐれた「人間ドラマ」でもある。

太田 省一 社会学者、文筆家

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おおた しょういち / Shoichi Ota

東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本社会の関係が研究および著述のメインテーマ。現在は社会学およびメディア論の視点からテレビ番組の歴史、お笑い、アイドル、音楽番組、ドラマなどについて執筆活動を続ける。

著書に『刑事ドラマ名作講義』(星海社新書)、『「笑っていいとも!」とその時代』(集英社新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『水谷豊論』『平成テレビジョン・スタディーズ』(いずれも青土社)、『テレビ社会ニッポン』(せりか書房)、『中居正広という生き方』『木村拓哉という生き方』(いずれも青弓社)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩書房)など。

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