正岡子規最後の地であったように、根岸もまた、多くの著名人、文化人が集まる高級住宅街であった。「子規庵」は戦災で焼失したが、戦後、同じ姿で再建され、現存する。
その向かいが書家の中村不折が開いた書道博物館。同じブロック内に7代目林家正蔵、初代林家三平、9代目林家正蔵とつながる本拠地「ねぎし三平堂」があるのは、文化上の壮観だ。
言問通りを渡ると、いくつかの寺院やその墓地が点在し、住宅と混在する地域。マンションも多い。一部に戦災を免れた街並みも残る。特に大規模な再開発計画もなく、防災を進めつつ、現状のような町として続いていくものと思われる。
根岸は独自の地位を築いており、そもそも上野、日暮里、入谷に囲まれている地域で、“鶯谷”のイメージは薄い。もっとも有名な観光スポットは入谷鬼子母神であろうが、最寄駅は入谷である。鶯谷駅でも看板やチラシなどで観光PRは行われているが、やはり上野恩賜公園方面が中心だ。
日暮里のイメージが強い
駅北口を出て、根岸小学校の前を過ぎて数分も歩くと荒川区に入る。東日暮里4丁目や5丁目の一部は鶯谷が最寄り駅のはずだが、やはり日暮里のイメージに引きずられる。
小型バスが巡回する台東区循環バス「めぐりん」が、鉄道や都バスを補完して、区内をきめ細かく結んでおり、実際に見たところ利用客も少なくないが高齢者が中心だ。観光利用もアピールされているが、実態は地元住民の生活路線である。そもそも特別区の施策であるから、荒川区内へは足を踏み入れない。
もっとも鶯谷駅前は非常に狭く、南口にタクシー乗り場があるものの、路線バスは小型であっても、北口、南口とも乗り入れ困難だ。接続拠点にするには条件が悪すぎ、都バスも「めぐりん」もターミナルが上野や上野駅近くの台東区役所になっているのも、もっともだ。
こうして考えてみると、いたって交通至便な土地ではあるが、鶯谷駅自体はごく狭い範囲をカバーするだけの駅と思われてくる。都市部の密な交通網が生んだ、エアポケットのような静けさこそ、この駅と町のよさではあるまいか。
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