日本政策投資銀行の見直しを契機に、金融の枠組み全体の議論を
広い議論の契機に
そこで、金融のあり方という観点から、自見庄三郎・金融担当大臣にDBJ問題への考え方を尋ねると、次のような主旨の回答が得られた。
「今後、財務省内において見直し、検討が進められると承知している。政府による同行の株式保有のあり方も検討されることになると考えている。官と民のベストバランスを図るという観点が重要だ」(2月4日の大臣記者会見)
「官と民のベストバランス」という発言の裏には、「DBJを政策金融機関に戻す」という方向性があると解釈できる。しかし、それは、単純にDBJを過去のDBJに戻すことなのか。
言うまでもなく、民間金融と政策金融は、金融分野の2大支柱である。そして、今、世界は大きく変化している。わが国もその渦中にある。この変化への対応は「元のように柱を立て直しました」という単純な回帰思考で足りるものなのか。金融をめぐる世界的な枠組みが大きく変わる情勢下にありながら、「民から官へ」の逆戻り発想のみに終始することは許されないように思える。
ましてや、民間銀行業では、預金が莫大化する一方で、貸し出しが伸びず、銀行のバランスシート上には国債など債券のウエートが高まるばかりだ。あたかも、銀行預金が、債券運用型の投資信託、MMF(マネーマネジメント・ファンド)化してきたような笑えない喜劇のような状況を呈しつつある。もちろん、利益率も伸びずにいる。
それもあって、大手銀行は軒並み、利潤を求めて海外志向を鮮明化させているが、その一方では、国内(母国)の企業金融マーケットにマネーをきちんと行き渡らせるための新たなスキーム、枠組みを構築すべきだというような議論の機運も、チャレンジの動きもそれほど感じられない。たいへんに残念なことである。
しかし、企業金融マーケットが現状のまま改善されないでいいというわけではないだろう。
官回帰であれ、民営化であれ、DBJも企業金融の重要なビークルである。このあり方を論ずることを契機にして、「財務省内で検討する」だけではなく、官、民、金融の担い手を結集したような方式による金融全体の大きな枠組みの議論が堂々と開始されることを強く望みたい。
(シニアライター:浪川 攻 =週刊東洋経済2011年2月26日号)
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