東京出て売れた芸人が「捨ててよかった」3つの事 ソラシド本坊元児が語る東京で売れなかった訳
でも山形に来たら、マネージャ―と距離が近くなって会議にも出るようになり、こんなに手助けしてくれていたんだ、芸人をなんとか売ろうとしてくれていたんだということが見えてきたんです。と同時に、どこの会社も予算のない中で仕事していて、出番をもらえることはこんなに特別なことだったのかということにも気づけました。
ほとんどの仕事は僕じゃなくてもいいんです。「僕じゃないとできない仕事にするんだ」という気持ちでやることは大切だと思いますが、本当はテレビ局の社員アナウンサーで十分な仕事を、わざわざ僕に発注してくれている、と理解していることが大切なんですね。
「僕じゃなくてもいい仕事」をいただいている
究極的には、どんな仕事だって同じだと思います。
言ってしまえば総理大臣だって、たまたま今のタイミングで任せてもらっているだけ。芸能界も、めちゃくちゃ売れている人がいきなり辞めてしまっても、来週のその時間は別の人なり別の番組で続いていく。
そういう事実は、山形で大人たちが色々やってくれていることを見て強く感じました。ああ、チャンスをいただいているんだな、僕じゃなくてもいい仕事を、わざわざいただいているんだって。
昔のように勝手にすねて、誰とも連絡をとらなくなっていたら見えなかったことだと思います。人に直接会って話し、その人の仕事を見て、自分の立場を理解したうえで、全力で仕事をする。仕事がうまくいかない時期が長くなると忘れそうになることですが、人とかかわり続けることで、きっと軌道修正していけると今は思っています。
僕は、つらかった東京を離れて山形に来たことでレギュラー番組もたくさんいただき、芸人の仕事だけで食べていけるようになりました。
東京にいた頃はバイトとはいえ、あんなにお金も稼げていたのに、ちっとも幸せではありませんでした。毎日ほかの芸人と自分を比べては凹み、背伸びした発言をしては死にたくなっていたのに、東京から離れて自分にできることを地道に始めたら、逆に東京のテレビにも呼んでいただけるようになり、本も出させていただくことになったのだから不思議なものです。
転機になったのは東京を離れ、イチから自分の居場所を作ったことでした。
インタビュー&構成:甘利まきこ
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