いずれにしても、コミカルに(多少シニカルに)描写できるということは、すなわちツッコミどころが多いということでもある。事実、本書に出てくるエピソードの数々は、私たち大人を戸惑わせる。「はたして大人とはなんなのか、本当に私たち大人は正しいのか」などなど、考えるほどに答えは遠ざかっていく。
1限だから1限に出る
学生時代、1限が嫌いだったという方も少なからずいらっしゃることだろう。早起きしなければならないし、そのため前の晩にも夜更かしもできず、単純化して捉えれば1限を受講することはつらい部類に入っていたからだ。
ところが金間氏によれば、最近の大学生にそんな考え方は当てはまらないようだ。少なくとも最近は、朝一だからといって出席率が下がることはあまりなく、学生に理由を聞いても「そのほうが、1日が長く有効に使えていい」といったお手本のような回答が返ってくることもあるというのである。
もちろん、それはそれで悪いことではない。だが問題は、彼らが朝一から大学に来るのは、意欲があるからでも、意識が高いからでもないということだ。
だとすれば、なぜ1限の講義に出てくるのか? その疑問に対する答えはなかなか衝撃的だ。なにしろ、「1限に設定されたから」だというのだから。わかりやすく言えば、設定されたその1限に自分だけが出ないことを考えると、「なんとなく不安になる」ということだ。
板書(最近はスライド)はちゃんとノートに写す。ここは大事だと言われれば下線を引く。座席指定されたら従う。
でも、わからないことがあっても質問はしない。講師が間違ったことを言っても指摘しない。(30ページより)>
これがいまの大学生の、講義での一般的な反応なのだそうだ。つまりは活気がなく、リアクションが薄い。学生に向けて講演を行った結果、反応がなさすぎて心が折れそうになった経験は私にもあるので、講師にとってそれがいかに恐ろしいことであるかはわかる。ましてや、それが日常的な光景なのだと考えると耐えられる自信はまったくない。
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