人口動態で需要が減少、民間が工夫するしかない--藻谷浩介・日本政策投資銀行参事役《デフレ完全解明・インタビュー第5回(全12回)》
経済学は、儲からない分野からは企業が撤退して調整が働く前提になっているが、実際の企業はなかなかそうしない。家電業界は日々新製品を出しては値崩れを起こしている。小売りも90年を100として売り場面積を140にまで拡大させた。経済学が前提とする合理的な行動をとれていないのだ。さらにいえば、国内での生産をやめても外国から同じものを安く輸入できれば、供給過剰は終わらない。汎用半導体などはその典型だろう。
企業は新興国が作れない高付加価値商品へ移行すべき
--解決策としてはどのようなものが考えられますか。
生産力を落とすか、需要を増やすかしかないが、外国企業の生産力までは落とせない。だから、供給サイドで言えば、他の国で作れないものを高く売るしかない。コメであれば価格の高い銘柄米を作り、量販店を通さず、特定のルートで売るとか。
「日本ガラパゴス論」というのがあるが、的外れな批判。日本人も操作ボタンがたくさんついた家電品なんて求めておらず、もっとデザインセンスのよいものを求めている。米アップル社のiPodはデザインで売れている。中高年の男性はよく「デフレを打開するのは、アッと驚く技術だ」と言うが、液晶はブラウン管の時代にアッと驚く技術として登場して、すぐに儲からなくなった。技術さえあれば経済は成長すると思うのは、頭の中身が20世紀だ。
カギはマーケティング。自動車であれば、本当はフェラーリのような高付加価値のクルマを造る国でなくてはいけない。年間1000万台を生産する企業がいきなり、年間数千台の企業には変われないが、大企業ももっと多様なジャンルのブランド品を作ることに挑戦すべきではないか。人口減少国家なのだから、もっと儲かる産業に人材をシフトして人件費を上げていかねばならないのに過当競争の中で若者をワーキングプアにしているという現実がある。
--スイスやイタリア、フランスが対日貿易で黒字であり、ブランド物は生産得年齢人口減少社会でも強いと指摘なさっていますね。
デザイン性と品質と由来がはっきりしていること、誰がどこで作っているかというストーリーがある。これが必要。そういうものには、高い価値がつく。デザインに価値がつくというのは決して現代の爛熟した消費社会の特殊な現象ではなくて、旧石器時代から存在する人間の本質。ラスコーの洞窟壁画は当時の平均寿命、生産力から考えたら、壮大なエネルギーの無駄遣いをしているわけで、人間は何かシンボリックなものを身近に持ってないと生きられないことをよく示している。これを私は、生存欲求に匹敵する人間の基本的な性向として「おまじないの欲求」と呼んでいるが、それにうまく訴えた商品はブランドになっている。ただ、ブランドは大量生産にならないので、1つ1つの市場は小さい。