人口動態で需要が減少、民間が工夫するしかない--藻谷浩介・日本政策投資銀行参事役《デフレ完全解明・インタビュー第5回(全12回)》

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--ミクロの現象であるというわかりやすい例がありますか。

失われた20年というが、ミクロの現象なので、モノによって不振の始まった時期はズレている。

早かったのが1990年代前半に値崩れを起こした住宅・不動産業界。住宅取得者の中心である40歳前後の数がこの時期から減り始めたからだ。

だが当時、生産年齢人口全体は増えていた。人数の多い団塊ジュニア世代の就職で、就業者数や個人所得総額も増え、小売販売額も増えた。

しかしその小売販売額も、生産年齢人口の総数が減り始めた97年から減少に転じる。2000年以降は、自動車の販売台数や国内貨物輸送量、自家用車による旅客輸送量、酒類販売量まで減り始めた。しかしコンビニや宅配便は高齢層でもよく使うので、売り上げ減少は04~05年になってから。だがいったん減少に転じたこれら内需指標は、輸出主導の好景気の最盛期にも増加していない。

経済成長率と内需は連動しない。生産年齢人口減少で、就業者数の減った輸出産業の生産性は上がり、輸出の増加で経済成長率も上がるが、輸出企業の払う人件費は減る一方なので、内需は下がっていく。

この構造は都道府県別に見ても明確で、小売販売額と経済成長率は連動していない。

たとえば02~07年の戦後最長の好景気に、過半数の都道府県では名目GRP(県内総生産)が成長したが、好景気と称された愛知県や東京都はじめ、そのほとんどでまったく小売販売額が伸びなかった。当時高い経済成長率を達成した県の中に、工業付加価値生産性が全国ベスト3に入る先端工業県である和歌山県や山口県もあったが、これらは生産年齢人口の減少が著しい県の代表なので、小売販売額は同期間に大きく減少していた。工場労働者の定年退職による自然減でどんどん生産性が上がり、県外移出が増え、成長率も高くなったが、就業者数の減少が人件費総額を減らし、県内消費の不振は深刻化していったわけだ。

--ではマクロの貨幣現象ではなく、金融緩和は効かないのですね。

生産年齢人口減少は、65年前の出生者数が15年前よりも多かった、という生物学的事実から生じており、貨幣供給は状況を変えられない。
「金融緩和をもっとすべきだ」という人に聞きたい。90年代半ばの時点で、その後、これほど金融緩和を続けても、デフレが退治できないと予測できていましたかと。自分が勉強した教科書に書かれていなかったからといって、多年続く眼前の現実を無視し続けるのはいかがなものか。

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