ジョニー・デップ、「魔の女」に人生破壊されるまで 勝訴でジャック・スパロウ役を取り戻せるか

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この映画の後、彼の家にはジャック・スパロウの衣装を来たファンがやってきたり、門を乗り越えて敷地内に入ろうとしてきたりするようになった。その前の年、パートナーのヴァネッサ・パラディとの間に下の子ジャックが生まれ、ふたりの子供の父親になっていたデップは、家族の安全を守るべく、ボディガードの数を大幅に増やした。

それでも、レストランに行くと誰かがパパラッチに通報して帰る時には30人ものカメラマンが待ち構えていたりするため、ろくに外出もできない。「かつて僕はただの『ジョニー』だったのに、『ジョニー・デップ』になってしまった。僕はまだその名前を口にするのは抵抗がある。商品みたいで」と、デップは語っている。

だが、人々と業界は「ジョニー・デップ」を愛し続け、その後彼は『ネバーランド』(2004)、『チャーリーとチョコレート工場』(2005)、『パブリック・エネミーズ』(2009)、『アリス・イン・ワンダーランド』(2010)など幅広い作品に主演していく。

ハードとの出会いは約10年前

そして、彼が主演とプロデューサーを兼任する2011年の『ラム・ダイアリー』で、ハードに出会うのである。

撮影中からふたりはお互いに惹かれたが、交際が始まったのは映画の公開に合わせたプロモーション活動がきっかけだ。その頃までに、ハードは同性のパートナーと別れ、デップもパラディとの関係がこじれていた(フランス人のパラディが、ロサンゼルスにいるせいで思うようなキャリアを築けないことに不満を募らせたことが原因のようだ)。

表向きにはパラディと平和な関係にあると装っていたため、デップとハードはお家デートで愛を深めていく。しかし、純粋に楽しかったのは最初の1年半ほど。その後は諍いが絶えなくなったにもかかわらず、ふたりは結婚した。

デップがハードに離婚を切り出すのは、それからわずか1年後。その直後、デップがバンド活動のためにロサンゼルスを離れると、ハードが離婚を申請し、接近禁止命令を出した。

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