ジョニー・デップ、「魔の女」に人生破壊されるまで 勝訴でジャック・スパロウ役を取り戻せるか

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デップは元々ミュージシャンとしての活躍を夢見て、20歳の時にバンド仲間とともにロサンゼルスに引っ越してきた。ギターを弾くようになったのは、12歳の頃。彼は母から日常的にDVを受けており、逃げるために部屋にこもってはギターを練習したのだという。

だが、ロサンゼルスに来てまもなくバンドは解散。家賃を払うために仕事を探さねばと、デップはレンタルビデオ店や服飾店の求人に応募しようとした。そんな折、知り合いになっていたニコラス・ケイジが「俳優になれば?」と、彼のエージェントを紹介してくれたのだ。

そのエージェントは『エルム街の悪夢』(1984)のキャスティングディレクターを紹介してくれ、次にウェス・クレイヴン監督に会いに行くようにと言われて、あっというまに映画デビューが決まったのである。ギャラは、映画俳優組合の規定で最低賃金である1週間あたり1284ドル。当時のデップにしてみたら大金だった。

『プラトーン』で役者に目覚める

それでも彼はずっと「自分は俳優ではない。ミュージシャンだ」と思い続けてきた。だが、ある時「これが自分の道なのだろう」と受け入れると、レッスンを受けたり、本を読んだりして、本格的に演技を学び始めた。自信を持って自分は役者だと思えるようになったのは、オリバー・ストーン監督から『プラトーン』(1986)の役をオファーされた時だったと彼は振り返る。

有名人になるとはどんなことかを初めて知らされたのは、テレビドラマ『21ジャンプストリート』(1987年開始)に出演してからだ。知らない人からちらちら見られたりするたび、彼は居心地の悪さを感じた。

デップは生来シャイで、目立つのが嫌い。だからバンドでもフロントマンにはなりたくなかったのである。そんな彼の人気は、『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』(2003)で大爆発した。この大ヒット映画のおかげで、突然彼は個性派俳優から世界的トップスターになったのだ。

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