格差を語る人なら絶対押さえたい「共感」の要点 「資本主義」自体を否定してもしょうがない
格差社会に「共感」できるか!?
♀:「共感」しないと、そもそも社会的正義についての議論がはじまらないのでは?
仲正昌樹(以下、仲正):「社会的正義」について議論する以上、その原点に「共感」があるのではないか、という議論はそのとおりだと思います。ロールズは「無知のヴェール」の下での選択においては、自己チューな選択と、社会的公正について各人が何となく抱いている「正義感覚」が一致すると考えました。無知のヴェールの下で「社会的に最も不利な立場にある私」の視点から考えるというのは、「共感」論であるとも言えます。
アダム・スミスも『道徳感情論』(1759年)において、市民社会の中での道徳の基礎として、苦しんでいる人たちに対する「共感」を設定しています。ちょっとだけ説明しておくと、スミスは人間にはもともと、他者の立場に我が身を置いて共感する能力があるけれど、市民社会の中での多様な経験を通して、いろいろな人の立場に立って公平=非党派的に(impartially)考えることができる能力が培われていく、という議論をしています。
最初はどうしても、自分にとって共感しやすい人への共感に偏っている(partial)けれど、様々な立場を経るうちに、次第に公平になっていくというわけですね。井上達夫さんや宮台真司さんが、リベラリズムの正義論の基礎だとしている「立場の入れ替え可能性(互換性)」、つまり「その(苦しんでいる)人と立場を交換したとして、あなたはそれに耐えられるか?」という可能性の考察も、スミス流の「共感」論の延長線上にあるのではないかと思います。
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