欧州大陸では「統一大王朝」は成立しなかった。各国が大きすぎる王朝を警戒し、その成立を阻んだからだった。
地中海全域はもとより、現在でいう中東からイベリア半島、英国北部にまでその領土が広がる古代ローマ帝国が崩壊したのち、その西半分に当たる今日の西欧の全土を支配するような帝国は登場しなかった。唯一それに近い領域を掌握したのが、フランク王国のカール大帝(在位768〜814年)であったが、彼の死後に王国は3つに分裂していく。
中世欧州社会は、精神的にはローマ教皇庁を頂点とするキリスト教で結ばれていたが、政治的には個々の領主が独立した権限を備えるさまざまな形態の「国家」へと分かれていった。
そのような中、16世紀前半に登場したのが、ハプスブルク家の当主で神聖ローマ皇帝に即位したカール5世(在位1519〜56年)である。彼は両親双方からの相続の関係で、実に70もの領域を支配する西欧最大の領主となった。北方ルネサンスを築いたブルゴーニュ公国やラテンアメリカに領土を拡大していたスペイン、さらに南イタリアやボヘミアなど、まさに広大な帝国であった。
カールの側近は、皇帝は神から選ばれた君主であり、「普遍君主国(ユニバーサルモナーキー)」をこの世に築くべきであると進言した。すなわち、彼の支配下で欧州を1つにまとめてしまおうというわけである。
「勢力均衡」概念の登場
これに色めき立ったのが周辺諸国であった。それまで宗教のうえでの「普遍性」を訴え、世俗の王侯より上位にいたローマ教皇庁が、十字軍の失敗や教会大分裂、さらにカールが皇帝に即位する直前に始まったルターの宗教改革などにより、その権威を弱めていた折だった。
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