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「ロシア暗黒史を体現」ウクライナ、犠牲の歴史 スターリン圧政が生んだ飢饉による大量餓死

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「ロシア史の中にはウクライナの歴史が隠れている」。ロシア(ソ連)にとって重要な工業地域であり穀倉地帯であるウクライナ。人気の世界史講師がその歴史を解説。

第2次世界大戦でウクライナは独ソ戦の戦場になった。避難するウクライナの人々(写真:アフロ)

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[POINT]

 ❶ロシア統治が長く「歴史なき民」ともいわれる

 ❷ロシア(ソ連)の工業と農業を支える

 ❸スターリン専制の下で大規模な飢饉

 ❹戦後もソ連の工業と農業を下支え

ロシア史の中の 「歴史なき民」

あるウクライナ史の権威は、同国の歴史の最大の問題は「国家がなかった」ことだとしている。「国家がなかった」ということは、そもそもウクライナはなかったということであるから、「歴史がなかった」と言い換えられる。これはいったいどういうことだろうか。

ロシア、ウクライナ、そしてベラルーシという、いわゆる東スラブ人の歴史の起源は、9世紀末に成立したキエフ・ルーシ公国にある。だが、13世紀のモンゴルの侵略によって公国は滅亡、ほかのユーラシア大陸の諸国と同様にキエフ(キーウ)も衰退した。

その後、キエフに代わり、東に位置するモスクワが台頭し、この地域の中心はモスクワに移ってしまった。その結果、キエフ・ルーシ公国は、キエフを中心とするウクライナ人の国家ではなく、モスクワを中心とするロシア人を発祥とする国家として捉えられるようになった。

ロシアの名に隠されて歴史を歩む

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