「能力のない策謀家」と見られがちだったナポレオン3世。叔父の初代ナポレオンとは違った形で、フランスの栄光を実現しました。その人生は実に起伏に富んでいる。
フランス皇帝ナポレオン3世(ルイ=ナポレオン・ボナパルト)は、毀誉褒貶(ほうへん)の激しい君主の1人である。とりわけ同時代の作家、ヴィクトル・ユゴーによる辛辣な批評は大きな影響を与え、ナポレオン3世は能力のない陰謀家との評価が定着した。
しかし時とともに状況は変化し、政治家としての資質や政策が再評価の対象になり、その帝政を肯定的に解釈する傾向が強くなっていった。当時の経済成長は「フランス資本主義の黄金時代」と称されるようになり、それを支えた制度や政策が着目されるようになった。この研究潮流はとくに第2次世界大戦後に強くなった。
ルイ=ナポレオンは、大ナポレオンの帝国が崩壊すると、母親に連れられスイスへ亡命し、そこで多感な青年時代を過ごした。
1830年に母国で7月革命が勃発したのを機に政治活動を本格化。ナポレオン戦争後の欧州での秩序を支えていた、英国、オーストリア、プロイセン、ロシアなどの大国中心主義に立つウィーン体制(のちにブルボン復古王政下のフランスも加盟)を一貫して批判した。
この立場から、ドイツ、イタリア、ポーランドなどにおけるナショナリズム(国民主義)運動に共感を寄せ、イタリア統一運動(リソルジメント)にも参加した。
3世に込められた意味
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