19世紀、ドイツを統一に導いたビスマルク。「鉄血宰相」といわれるが、はじめから「鉄血」を志向していわたけではない。むしろ「超リアリスト」が本当の姿だった。
「現下の大問題が決せられるのは演説や多数決によってではなく〔中略〕鉄と血によってである」。1862年9月末にこのように演説して世間を騒がせ、後に「鉄血宰相」と呼ばれるようになったのが、プロイセン首相ビスマルクである。
彼はその後、この演説を地で行くかのように3度の戦争を主導して当時政治的に分裂していたドイツを統一、1871年1月にドイツ帝国を創建した。
はたして彼は最初から「鉄と血」、すなわち戦争によってドイツ統一を目指すナショナリストだったのか。
ユンカーの家系に生まれたビスマルクはプロイセンの君主主義を擁護する超保守的な政治家であり、ドイツ統一ではなく、プロイセンの国益を維持・拡大することを目指していた。ただし、そのためにはイデオロギーや原理原則ではなく、ただ自国の利害に対する冷静な評価によって現実主義的に決定されるべきであり、国益に合致していれば革命勢力やナショナリズム勢力とも手を結ぶことをいとわなかった。「現実政治家(レアルポリティーカー)」と評されるゆえんである。
3度の戦争に至った背景
首相に任命されたのもドイツ統一のためではなく、軍制改革をめぐって国王・政府と議会との対立が深刻化し、国王退位まで取り沙汰されるほどの危機的状況を打開するためであった。先述の「鉄血演説」も本来はそのためのものだったが、その表現のゆえに逆効果となった。
それではなぜ、ビスマルクはドイツ統一に乗り出し、3度の戦争に至ったのか。
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