人は2000連休を与えられると一体どうなるのか? 開放感と怠惰にひたる至福の日々は一瞬で終わる

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これまではチェーン系のカフェで働いていた。週五日、電車に乗って通勤していた。そしてレジを打つ。ドリンクを作る。笑顔で人々に対応する。客に呼ばれれば駆けつける。思えば頑張っていたものだ。今は何もない。眠い目をこすって出勤する必要もなく、客に愛想笑いをする必要もなく、同僚と無理に話題を合わせる必要もなく、自由だけが用意されている。わずらわしい人間関係は消え去った。これを人はユートピアと言う。

だらだらと日々を過ごす

連休が続いている。すでに二ヶ月ほど過ぎている。とくに行動は変化していない。昼間からマンガを読み、音楽を聴き、ネットを見ている。好き放題やっている。はじめの興奮は薄れた。惰性の要素が大きくなってきた。予定がないことはもはや日常だ。まあ、予想できたことではある。自由とは退屈の別名でもあるのだし、大したことではないだろう。

生活リズムは乱れに乱れている。自分が何時に起きているのか、何時に寝ているのか、まったく分からない。アラームを設定するという発想は消えた。アラームに悪態を吐いていた意味も今ではよく分からない。小さな機械にすぎないじゃないか。

曜日感覚は消滅した。日付の感覚も薄れた。家からほとんど出ていない。ひきこもりだと言われても否定できない。食事の時間もむちゃくちゃだ。昼飯なのか、夕飯なのか、名のはっきりしない飯を食べている。

この生活になって、ネットを見る時間はますます増えた。油断するとネットを見て一日が終わる。逆に言えば、ネットがあるから膨大な暇を潰せているのかもしれない。日常的に無数のコンテンツが流れてくる。色々な人が色々なことを言っている。たくさんの揉め事も起きている。それを見ているとよく分からないうちに何時間も過ぎている。自分が何を見ていたのか、自分でもよく分からない。分からないままに一日が終わる。

インターネットに出会ったのは高校一年の夏だった。パソコンを買ってもらい、はじめてネットに接続した日のことをよく覚えている。すでに十年近くが過ぎている。ネットの恩恵を最大限に受けて生きてきた。高校生の頃にホームページを作ったことも大きかった。

日常的に文章を書いて公開する。徐々に読む人もあらわれた。ネット上の人間関係が生まれ、ネット上の人格とでも言うべきものも生じた。だからこそネットが生活に食い込んだとも言える。テクノロジーの変化にともない、ホームページはブログとなった。それでも変わらず書き続けた。ネットが日常にあることは当たり前になっている。脳がネット空間にワイアードされている感覚は明確にある。

次ページ小部屋とパソコンさえあれば延々と暇は潰せる?
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